旧約聖書 詩編 34篇20節
「主に従う人には災いが重なるが、主はそのすべてから救い出してくださる」

最初にこの箇所を読んだとき、「えっ?! 神様(愛のかたまり)に従ったら、“災いが重なる”???????」って思いました。

確かに聖書には、「神様に従う者に祝福が満ちる」という約束があります。
しかし、同時に冒頭の言葉も書かれているのです。

心の奥のすみにこの言葉はずっと残っていました。
そして20年以上過ぎました。

いろんなことを経験してきて、この聖書の言葉がパズルの大切なピースのように心におさまってきました。

人は神様(無限無条件の愛)を知るために生かされています。

一方で、人は自分の知恵と力で進もうとします。
「神様に聞きながら一歩一歩進んで行き、道を外れてジタバタしては神様に助けられながらまた歩みなおす」という“まどろっこしい”生き方を望みません。

しかし、神様(無限無条件の愛)を離れたら、自分やまわりの命を傷つけてしか生きられなくなります。

人は神様と一緒に生きてこそ、愛と平安の中を進んで行くことができます。

そのために大切なことが、冒頭の聖書に言葉にある「災い・問題・困難」。

それも「自分では手に負えない」問題が必要。

自分で何とかできる限り、人はある程度しか神様に頼らず、神様の権威と力と愛を不十分にしか体験できません。

完全に神様に任せる時、神様のとてつもない権威と愛と力を体験していけます。

これには、待つこと、忍耐が必要です。

自分で動きたくなっても、待つ!

これが実に微妙で難しい…

体験して学んでいくしかありません。
近道はありません。

ですから、神様(全知全能の無限無条件の愛)を知るために「災い」を繰り返し通り抜けていきます。

「災い」を通るからと言って悲観する必要はありません。

「主はそのすべてから救い出してくださる」のです。

「すべての災い」から救い出してくださいます。

全知全能の愛の方に賭けて進んでいきましょう。

必ず「救われ続けて」いきます。

あなたは宝物ですから。

「主は助けを求める人の叫びを聞き、苦難から常に彼らを助け出される。
 主は打ち砕かれた心に近くいまし、悔いる霊を救ってくださる。」(18~19節))