新約聖書 コリントの信徒への手紙2 5章17~20節
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。」

養老孟司さん(医学博士)の本によれば、人は眠りからさめると、一瞬の内に脳の中にあるデータを参照しまくって「自分が誰か(アイデンティティー)」を確認するのだとか…

聖書によれば、人はみんな神様の宝物。
宝物として創造され、命を与えられました。

しかし、生きていく過程でいろんなところから雑音が入り、データが傷つけられてしまいました。
その結果、自分も周りの人も「神様の宝物」として見られなくなってしまっています。

自分は、あるいは、この人は、あの人は、・・・・だから…

この「思いこみ」「先入観」が実にヤッカイ!

ちょっとしたことで、「相手はこう思っている!」と“思いこんで”しまい、敵意が生まれ、戦いになる!

本当は、相手も自分が本当はどんな存在でどうありたいのか完全には理解していない存在。

自分も相手も、自分がどんな存在なのか改めて考えてみる機会はその時の対応次第で可能になります。

自分の先入観によってたくさんの人たちに取り返しのつかない傷を与えてしまった経験のある使徒パウロ。
彼が心を込めて伝えてくれている神様のメッセージが冒頭の聖書のことば。

「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」

イエス・キリストは、命がけで「あなたは神様の宝物。自分がどんな存在なのか分からなくなって自分やまわりの命を傷つけているが、あなたは宝物! だから、宝物として生き直し続けよ!」という神様の愛のメッセージを届けてくれました。

人は宝物。

いつでもどこでも、どんな状態からでも本来の姿に変わっていけます。

「わたしの魂は沈み込んでいても、再び心を励まし、なお待ち望む。
 主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。
 それは朝ごとに新たになる。」(哀歌 3章20~23節)

自分にも、まわりの人に対しても「先入観」や「決めつけ」から自由にされて行動できますように。

宝物として大切にし続けることができますように。

イエス様、ありがとうございます。
神様、よろしくお願いします。