新約聖書 コリントの信徒への手紙2 5章17節
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」

人は神様の宝物。

神様にとっても、お互いにとっても自然にとっても“宝物”。

でも、人は神様(愛)を離れて生きてしまう。

自分の利益が最優先…

神様に返ると『愛(無限無条件)』が最優先。

まどろっこしい…

でも、神様はこのまどろっこしい作業を延々と永遠に続けておられます。
イエス・キリストも命がけでやってくれました。
復活して今もしてくれています。

命を宝物として大切にすることは、実は何物にも替えられない喜び!

人はみんな『宝物』として生きられる!

そのためには、神様と一緒に精一杯人を受け入れ、ゆるし、励まし続ける必要があります。

ここは神様と一緒でないとやれません。

「これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。 」(18~20節)

神様(愛)との和解が必要。

無限無条件の愛・受け入れ・ゆるしを受け続けると、凝り固まった人の心も柔らかくなっていきます。

お互いに対する先入観を捨て、その人を、もちろん自分をも「“まだよく知らない”神様の宝物」として少し距離を置いて観察してみましょう。

きっとキラキラと輝く宝を見つけられます。
喜び合いましょう。

先入観を捨て続けながら、気長に、宝物として思い直し続けていきましょう。

みんな宝物なのですから。