新約聖書 ルカによる福音書 8章16~18節
「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。だから、どう聞くべきかに注意しなさい」

イエス・キリストが弟子たちやまわりの群衆に向かって話しておられます。

明かりは何のためにつけるのか?
「入って来る人に光が見えるように」
「隠れたものが見えるように」

そう言った後に一言付け加えます。

「どう聞くべきかに注意しなさい」



「聞くこと」と「明かりをつける」ことと何の関係があるのでしょう。

人は神様の宝物ですが、神様を離れて自己チュウに生きているために輝けなくなっています。
輝くためには、神様に向き直り、神様の愛のことばを聞いて自分の中に取り込んでいくことが必要です。

神のメッセージは耳に痛いようなこともあります。
無視したくなるようなことも。

しかし、すべてのメッセージは私たちが宝物として生きるために用いられます。

だからイエス・キリストは言われました。

「どう聞くべきかに注意しなさい」

(その2に つづく)