新約聖書 コリントの信徒への手紙1 15章9~10節
「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです」

当初、使徒パウロはイエス・キリストのメッセージを受け入れられませんでした。

「神様に従って生きようとしている者だけが神様に愛されている」というのが彼の信じるところでした。
神様が求めておられるようにルールに従って生きることが大切でした。
ルールを守れないことはサイテーでした。

イエス・キリストがそのサイテーの人たちを大切にし、そのまま受け入れ、ましてや癒しや奇蹟を行われることを全く受け入れられませんでした。
群衆と一緒になってイエス・キリストが処刑されるように働きかけました。
イエス・キリストが処刑された後は、その信者達を探し出して捕まえて留置場に送っていました。

神様に逆らう連中を捕まえているつもりでした。
しかし、復活したイエス・キリストが彼の前に現われて間違いを教えられました。

パウロは取り返しのつかない間違いを犯していました。
神様の宝物たちを捕まえて傷つけていたのです。

自分の愚かさを思い知らされました。
そして、そんなサイテーの自分にイエス・キリストが会いに来て神の愛を教えて下さったとき、神の愛を身を持って知りました。

この体験がパウロの心に焼きつけられました。

(その2に つづく)