旧約聖書 イザヤ書 43章10節
「あなたたちはわが証人- また、わたしが選んだわが僕(しもべ)だ。あなたたちが知って、わたしを信じ、わたしがその者だと、悟るためである。わたしより前につくられた神はなく、わたしより後にも存在しない」(旧約聖書翻訳委員会訳/岩波)

パウロという人は、神様に従い、神様に喜ばれる生き方をしようと一生懸命でした。
ユダヤ人が伝えてきた神様の教えを守ることに一生懸命でした。
彼にとっては「教え」がすべてでした。
ルールを守ることが一番でした。
守れないことはダメなことでした。

そうやって自分にもまわりの人にも厳しく生きてきたパウロの前に、復活したイエス・キリストが現われました。

「旅を続けてダマスコに近づいたときのこと、真昼ごろ、突然、天から強い光がわたしのまわりを照らしました。わたしは地面に倒れ、『サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか』と言う声を聞いたのです。『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである』と答えがありました」(使徒言行録22章6~8節)

神様に従っているつもりが、実は自分のエゴ(自己チュウ)でしかなかったことを教えられました。
しかし、彼が神様を心から求めていたことは間違いありません。
だからこそ、イエス・キリストが彼の前に現われたのです。

向かっている方向が間違っていました。
だから方向転換(悔い改め)しました。

(その2に つづく)