(その1から つづき)

それでも一人で生活している内はそんなに問題になりませんでした。
友だちやまわりの人はいつも私と一緒にいるわけではありませんから、適当に距離を置けたわけです。

しかし、結婚して妻と生活するようになると問題が…
妻や子供はわたしから距離を置くことができません。
私は、どんなに荒れても「自分が正しい」と思っていて、自分の問題の大きさに気づくことはありませんでした。
たとえ暴力をふるったとしても、自分にはそれだけの理由があると…
でも、心のスミのどこかには、いつも罪悪感がありました。
それを勢いでごまかしていましたが、いつもありました。

今日の聖書に出てくる悪霊につかれた人のことを読むと自分と重なるのです。

「彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた」(5節)

自己チュウで自分やまわりの人を傷つけながら生き続ける自分の姿です。

彼はイエス・キリストに近づいて行きました。

「イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、大声で叫んだ。『いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい』」(6~7節)

助けてほしいけど、一方で自分を変えてほしくない…
上から目線でかかわってほしくない…
ややこしい思いです。

続きは明日のブログで