(その1から つづき)

「ちゃんと神様を礼拝しなさい」とかいう言葉。
ペテロたちは聞きなれていました。
日常の生活とは違う世界の言葉です。
聞き流して終わり。

ところが、イエス・キリストの言葉は普段の生活の言葉でした。

「漁師にする」
「漁をする」
「さなかをとる」

「人間を取る」?

ペテロたちはイエス・キリストのメッセージに心がとらえられました。
イエス・キリストと一緒にいると安心できました。
神の愛、ゆるし、受け入れ、励ましを感じることができました。

魚を取る網のように、神様が人をとらえていく網にされる…

神様の仕事などというものからは一番遠いと思っていた自分たちが神様のために働く。
そのままの状態で。

ペテロという網です。
兄弟の兄として育ち、漁師として生きてきたペテロ。

このブログで何度も書いてきたように、わたしは両親と弟の4人家族で育ちました。
ケンカの絶えないささくれ立った家庭でした。
チョー短気で自己チュウな大人に育ちました。
安心できる場所がほしいのに、短気なために妻や子供に当り散らして自分からピリピリした空間を作り出してしまう男でした。

そんな自分なのに、「そのまま受け入れられる」体験をしました。
イエス・キリストのことを伝えられました。
もっと知りたくなりました。
クリスチャンになって、牧師にもなって…

それでも身に着いた生き方がなかなか変わらず、家族の心を傷つけつづけて離婚されるところまでいきました。

その時、わたしの心に神様の静かな声がスッと入ってきました。

「お前のせいだ」…

(その3に つづく)