新約聖書 マルコによる福音書 1章16~17節
「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモン(ペテロ)とシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた」

漁師として生活していたペテロとアンデレ兄弟。
いつもと変わらず、その日も漁師として働いていました。
そこにイエス・キリストが来られました。
そして、二人に呼びかけました。

「わたしについて来なさい」

二人はイエスの招きにこたえてついて行きました。

魚をとる漁師。
網を水に投げて魚を取ってきました。

「人間をとる漁師にする」と言われても意味がわからなかったことでしょう。
しかし、二人がイエス・キリストにずっとついて行こうと決心したことは間違いありません。
イエス・キリストは神様のメッセージを命がけで届けるために来られました。

「あなたは神の宝物」

ペテロたちは漁師と言う自然を相手のキツイ仕事をしてきました。
苦しいこと、つらいことがあっても仕事です。
大漁の日には喜び、不漁の日には機嫌も悪くなったこともあったでしょう。
自分の自由にならない自然が相手だけに神様に祈ることも多かったかもしれません。
しかし、自然が相手ですから時間通りにものごとは進みません。
礼拝や祈りの時間とかいうものを守れないことがあったことでしょう。

宗教的リーダーたちからすれば、「あいつらはあんなヤツらだから放っておこう」と言われるような人たちでした。
自分たちの食べる魚をとってくれている漁師。
でも、「きちんと」神様を礼拝することだけが大切な宗教的リーダーたちからすればそんなことは大切なことではありません。

(その2に つづく)