(その2から つづき)

「悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい」(エフェソの信徒への手紙6章11~13節)

サタンの道具を使っては、まんまとサタンの策略にのせられてしまいます。

「神様の道具を使って戦うこと」が必要です。

「立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。また、救いを兜(かぶと)としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」(15~18節)

一言でいえば、「宝物として生きなさい」ということです。

自分が宝物として神様に愛され続けている存在であることをいつも確認します。
感謝します。
そして、まわりの命も宝物として大切にします。
だれが何と言おうと「宝物」ですから、「宝物」として大切に扱います。

「そんなのウソだ」と悪魔的力が言ってきますから、神様からのラブレターである聖書から繰り返し神様の愛のメッセージを受けていきます。
聖霊(神様の霊)が支え導いてくれますから、祈りを通して全面的にサポートを受けて進みます。

力や富で戦うサタンの土俵で戦えば、「勝っているはずの戦い」で負け続けます。
「神の愛」という神様の道具を使えば圧勝です。

「愛」だけでいいのです。
「神の愛」は、どんな人でも、いつでも、どんな状況でも使えるオールマイティーの道具です。
神様の宝物のあなたがいつでも使える勝利の杖です。
宝物として生きましょう。