(その1から つづき)

人は本当の愛を知りません。
人が知っているのは条件付きの愛です。

「~するあなたはいい子」
「~しないとダメ」
「~するあなたはダメ」
というようなことばが渦巻く中で人は育っていきます。

神様のメッセージはいつも響いています。
「あなたは私の宝物。宝物して生きなさい」

神様のメッセージはブレルことなく響いているのですが、人の声(思い)が大きいので雑音のように聞き流してしまいます。

人は神様の宝物。
守るために神様はそばにおられます。
そして、「立ち帰って静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」と全能の力で守ることを約束して下さっています。

ところが人は神様に信頼できず、自分が「これがいい」と思った方向にどんどん進んで行ってしまいます。
そして身動きできなくなっていくのです。

それを見て神様は「だから言ったじゃない。ザマア見ろ」とは言われません。
黙って私たちが迷う込む先に先回りしていてくれます。
そこが泥とゴミだらけ、悪臭だらけの場所だとしても、そこに先回りしていてくれるのです。
そして迷う込む私たちを抱きかかえようと待っていて下さいます。

何度でも、何度でもそうしてくれます。

どうしてでしょう?
あなたが宝物だからです。

あなたはこの方の愛を知るために生きています。
あなたは愛されるために生きています。

今、あなたは神様の腕の中にいます。
とりあえず落ち着いてじっとしていてみましょうか。
神様の愛と力の中にいるのですから。
宝物として。