(その1から つづき)

一羽のスズメさえ、確かに神様に愛され、命を導かれている。

人もそれぞれ一生懸命生きています。
生まれた環境のもとでジタバタしながら一生懸命。
愛を知らず、そのまま受け入れられて大切だと言ってもらえないまま育ち、傷つけ合って生きて命を終える人もたくさんいます。
突然傷つけられ、奪われる命もたくさんあります。

使徒パウロが言っています。
「被造物(もちろんスズメも)は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。わたしたちは、このような希望によって救われているのです」(ローマの信徒への手紙8章19~24節)

スズメや人間にどんな希望があるのでしょう?
イエス・キリストは何を知っていたので希望を失わなかったのでしょう?

(その3に つづく)