新約聖書 使徒言行録 19章11~16節
「神は、パウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた。彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気はいやされ、悪霊どもも出て行くほどであった。ところが、各地を巡り歩くユダヤ人の祈祷師たちの中にも、悪霊どもに取りつかれている人々に向かい、試みに、主イエスの名を唱えて、『パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる』と言う者があった。ユダヤ人の祭司長スケワという者の七人の息子たちがこんなことをしていた。悪霊は彼らに言い返した。『イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ。』 そして、悪霊に取りつかれている男が、この祈祷師たちに飛びかかって押さえつけ、ひどい目に遭わせたので、彼らは裸にされ、傷つけられて、その家から逃げ出した」

聖書にはたくさんの奇蹟や癒しのことが記録されています。
「奇蹟」や「病気のいやし」は、それだけが目的ではありません。

ここがとても大切なところです。
今日の聖書の記事に出て来るユダヤ教の祭司長の7人の息子たちには「奇蹟」や「いやし」を行うことが目的でした。
それによって自分たちが何かすごい存在であることを認められることが目的でした。

自分が必要な時に神様の力や奇蹟だけを使わせてもらおうというわけです。

しかし、神様がパウロを通して奇跡や癒しを行われた目的はハッキリしています。

「二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った。主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされたのである」(14章3節)

パウロたちが伝えている「恵みのことば(福音:うれしい知らせ)」の証明のために奇跡やいやしが起こされました。

(その2に つづく)