新約聖書 マタイによる福音書 1章20~21節
「このように考えていると、主の天使が夢に現われて言った。『ダビデの子ヨセフ。恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである』」

マリアと結婚するつもりでいたヨセフ。
彼はマリアが妊娠していることを知って婚約を解消しようと考えます。
ところが、天使がヨセフの夢に現われてメッセージを伝えました。
マリアのお腹の中の命は聖霊によって与えられたものだと。
その名前も伝えられました。
「イエス」… 「主(しゅ)は救い」という意味です。

聖書には「主」という言葉がよく出てきます。
「すべてのものを創造された方:神」のことを「主」と呼んでいます。

「主」は、どこか高いところから見下ろして様子を見ているような存在ではなく、具体的に一緒に生きて導いてくれる方のことです。

自然や動植物、地球、宇宙のあらゆるもの、虫やもっと小さな微生物なども創造された方。
とても人間が理解できるような方ではありません。

人間は自分が理解できる範囲で神様のような存在を作って拝んだりしてきました。
自分が拝んでいる神々から力や祝福を得るため、色々な拝むルールなども作ってきました。
そして、いつのまにかルールを守ることが一番になり、「守れなければいやなことが起こる」といううようなことも言われたり…
リーダーのような人、霊感があると言われるような人の言いなりです。

新約聖書には、「イエスという方を『主』と信じてダイジョウブ」ということが書かれています。

(その2に つづく)