(その1から つづき)

マタイによる福音書の最初に並んでいるカタカナの名前一人ひとりにそれぞれの人生がありました。
それぞれの時代には、聖書には書かれていない無数の人たちが生きていました。
その人たちもそれぞれの人生を自分の置かれた環境で一生懸命に生きていました。

それぞれの人はそれぞれのかけがえのない命を生きぬきました。

新約聖書は、とっつきにくいカタカナの名前の羅列で始まっています。

自分の知らない人の名前は、それを聞いてもただの言葉でしかありません。
新聞のお悔やみ欄に並んでいる名前を読んでも、知っている人でない限りは気に留めることもなく読み飛ばしてしまいます。
読むこともない人がたくさんおられるでしょう。
自分に関係がなければ、その方が亡くなってもほとんど影響は受けません。

ところが、その一つ一つに心動かされる方がいます。
一人ひとりをとことん愛し、覚えている方がいます。

その方は、一人ひとりの人の名前を完璧に覚えておられます。
「見よ、わたしはあなたを、わたしの手のひらに刻みつける」(イザヤ書49章16節)

一人ひとりの命を創造された方は、一人ひとりの名前を手に刻みつけておられます。
一人ひとりがかけがえのない宝物です。

(その3に つづく)