新約聖書 コリントの信徒への手紙2 5章16節
「それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません」

私が毎日読んでいる「アパールーム」というクリスチャンの証しの冊子から、今日の分を翻訳して紹介ます。
英語版は以下のサイトで読むことができます。
http://devotional.upperroom.org/devotionals/2013-06-24

「私が6歳の時、母が自殺しました。私が彼女の遺体を発見しました。彼女の死後、誰も彼女のことを私に話す人はありませんでした。私は、彼女がどんな人だったのか知らずに成長しました。私が一番生き生きと覚えている彼女の思い出は最悪の姿でした。彼女の死後15年の記念日、神様は、「母について良く知るように」と私を促してくれました。その促しに答え、私は6カ月の時間をかけて彼女の足跡をたどりました。生まれ育ち、学び、働いたところを訪ねました。妻と父、また多くの人の支えを得て、私は私の“母”に会うことができました。彼女の人生について知ることができました。そして、どれほど私を愛していたかも。どこか遠い、良く分からない、トラウマになっている人のイメージから解き放たれ、彼女は私の“母”になりました。この癒しの時を通して、神様は私に大切なことを教えて下さいました。「神様が見ておられるように人を見ようとするなら、その人たちの最悪の状況を超えて見なければならないということ。ペテロは信仰を失って沈みそうになったことがあります。『イエスを知らいない』と言って裏切ったことも。しかし、イエス・キリストのペテロへの思いはブレることはありませんでした。ペテロは、弱さや欠けをかかえた神様のとびっきりの宝物でした。私たちも、まわりの人、出会う人たちに同じ愛を届けることができます」