新約聖書 使徒言行録 5章31節
「神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦(ゆる)すために、この方を導き手とし、救い主(ぬし)として、ご自分の右に上げられました」

聖書は神様から人間へのラブレターです。
ジタバタ生きながら、神様に愛されていること、いつも見守られ、導かれていることを身をもって体験した人たちによる「神の愛の証言集」です。
命を創造された全能の神は、この聖書の言葉を用いて人に語りかけられます。
神の霊(聖霊)が、すぐそばで聖書の言葉を具体的なあなたへの特別な言葉として読ませてくれます。

聖書を読む時の一つのコツは、地名や人名が出てきたら自分の名前、もしくは「あなた」と入れ替えてみることです。
すると、聖書の言葉が直接自分に語りかけてきます。

冒頭の聖書の箇所は、使徒ペテロが自分たちを迫害する宗教的リーダーたちに向かって語った言葉です。

読みかえるとこうなります。
「神はあなたを悔い改めさせ、その罪をゆるすために、この方(イエス・キリスト)を導き手とし、救い主として、ご自分の右に上げられました」

「悔い改め」は「方向転換」、「罪」は「神を離れた自己チュウな生き方」です。
「赦す」という言葉は、「一方的な受け入れ」を意味しています。

イエス・キリストは神の愛の証しです。
神はあなたの味方です。

「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」(ローマの信徒への手紙8章31節)

神はあなたの味方です。

自分の命を創造された方のことが良く分からず、自分の思いのまま自己チュウに生きて自分もまわりの人も大切にできずにいる私たち一人ひとりの味方です。

あなたのまわりにいる一人ひとりの味方です。
敵はいません。
あなたも、まわりのみんなも神の宝物ばかり。
問題は、みんな自己中な生き方にとらわれていてなかなか自由になれないことです。
その自己チュウな生き方を砕いてしまうのは、「愛」です。
聖書にはあなたへの神の愛があふれています。
神の愛はあなたを、あなたのまわりの人を束縛や恐れから解放します。

神の宝物として、今のありのままの自分やまわりの人を大切にしながら一緒に輝いて安心して生きられるようにされます。

どんなに大切な宝物か分かれば、みんな命を大切に生きられるようになります。
みんな神様の宝物です。