(その2から つづき)

「この方は自分のためにきっと動いてくれる・・・」
イエス・キリストの愛や行動を聞いていた盲人はその希望に救われました。

目が見えるようになった盲人は、「行きなさい」と言われていましたから、自分の住んでいるところに帰ることも、自分が行きたかった所に行くこともできました。
しかし、彼は、「なお道を進まれるイエスに従った」のです(52節)。

「道」は「十字架に続く道」でした。
「十字架」は一番みじめな命の終わりです。
みんなから見捨てられ、バカにされ、侮辱されて殺されるのです。

みんなから差別され傷つけられてきた盲人がよく知っているみじめさです。
全くみじめで無力な最後です。

しかし、その後に復活が起こります。
自分の才能や能力、知恵や力がまったく無力なったところから、神様がとんでもない力を働かせて証明されます。
何を証明されるのか?

「人が神の宝物であること」です。
「人が神様にとことん愛されていること」です。

イエスが進まれる道は、十字架への道です。
「自分に死ぬ道」です。

自分(自己チュウ)に死ねば死ぬほど、神様の力を体験することになります。

惨めな状態は終わりではありません。
必ず復活があります。

復活するためには「いったん死ぬ」必要があります。

自分の思いや力に死ぬとき、必ず復活できます。
あなたを宝物として輝かせようとしておられるイエス・キリストが導いてくれます。

あなたはきっと輝きます。