旧約聖書 ヨブ記33章23~24節
「千人に一人でもこの人のためにとりなし、その正しさを示すためにつかわされる御使いがあり、彼をあわれんで『この人を免除し、滅亡に落とさないでください。代償を見つけて来ました』と言ってくれるなら」

「この人」ってどんな人なのか、この箇所の前に書かれています。

「苦痛に責められて横たわる人があるとする。骨のうずきは絶えることなく、命はパンをいとい、魂は好みの食べ物をすらいとう。肉は消耗して見えなくなり、見えなかった骨は姿を現し、魂は滅亡に、命はそれを奪うものに近づいてゆく」(19~22節)

理由は分かりませんが、苦しみのために食べることもできないほど心身がボロボロになっている人です。

冒頭の聖書の箇所には、「ああ、この人のために味方になってくれる人がいるだろうか・・・」と問いかけています。

何も悪いことをしていないのにつらい状態になっている人のために心を痛める人はいるでしょう。
では、自業自得、そんな状態になっても仕方がたないような生き方をしてきた人に対してはどうでしょう?

他人ごとではありません。
顔を上げて進める時だけならいいですが、誰にも気づかれないようにコソコソ隠れるような時だってあるでしょう。

どんな時でもあなたの味方になって命がけであなたを守ってくれる人がいますか?

います!
あなた以上にあなたのことを知っていて、あなたの弱さや欠けを知り尽くしていて、間違いや失敗をしてしまう時、あなた自信も気づいていない本当の理由を知っていて、あなたの味方をしてくれる方がいます。

イエス・キリストという方です。
この方は、今も命を創造された方に祈り続けて下さっています。

「父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカによる福音書23章34節)

あなたは神の宝物です。
宝物として生きるために命を与えられました。
愛されるために生きています。

「愛される」ためにジャマになっているすべてのものは、必ず神の全能の力によって取り除かれます。
あなたは神の宝物です。
「宝物として生かして下さい!」と声を上げてください。
あなたの祈りに必ず神はこたえられます。

あなたは宝物ですから。