新約聖書 コリントの信徒への手紙2 5章17節
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです」

自分は優秀で正しい道を進んでいる・・・
そう思って生きていた使徒パウロ。
しかし、彼の思いは彼の思いこみに過ぎず、自己チュウな「正しさ」でたくさんの人を傷つけてきたことをイエス・キリストに気づかされました。
彼は決心します。
「それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません」(16節)

「もう自己チュウな思いで人を見ることはやめよう」ということです。

昨日仕事の途中で学校の廊下を歩いていると、職員室の方から新しい先生と学習支援クラス(知的)の生徒がやってきました。
彼は小柄で知的障害があります。
いつもニコニコしていて、会った時に挨拶するとちょっと照れくさそうにします。
遠くにいる時は、こちらに気づいても別の方を向いてわざと気づかないふりをします。

二人とすれちがう時、先生が彼にたずねました。
「この人誰か知ってる?」
彼は頭をふりました。
私は自己紹介しました。
発音が難しいのか、名前の方はすぐに繰り返せたのに苗字はうまく言えません。
2回ほど繰り返してやって言えました。

「よろしくお願いします」と私が頭を下げると、彼もニッコリ笑って挨拶してくれました。

支援クラスには、知的、情緒的色々な障害を持った子供たちが来ています。
みんな神様の宝物です。
一緒に生きるためにはじっくり立ち止まることが必要です。

「立ち止まること」・・・
こんなに素晴らしいことはありません。

急げ急げ・・・ と周囲から何となくプレッシャーがかかる世の中です。

でも、神様は言われます。
「お前たちは、立ち帰って静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」(イザヤ書30章15節)

宝物として生きる生き方です。