新約聖書 マルコによる福音書 3章34~35節
「まわりに座っている人々を見回して言われた。『見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行なう人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ』」

イエス・キリストのまわりにはたくさんの人が集まってきました。
その大きな理由は、「イエスが多くの病人をいやされたので、病気に悩む人たちが皆、イエスに触れようとして、そばに押し寄せたからであった」(10節)と書かれているように、たくさんの人の病気がいやされ、その語られる言葉によって生きる希望をもらっていたからです。

悲しいことですが、イエスの親族はイエスのしていることを理解できませんでした。
親族の一人が「あの男は気が変になっている」と言われるようなことを始め、リーダーたちから目をつけられていることを知って、親族たちは自分に問題が降りかかって来るのを恐れました。
「身内の人達はイエスのことを聞いて取り押さえに来た」(21節)と書かれています。

大勢の人がイエスのまわりに座っているところに、イエスの母と兄弟たちがやってきて人をやってイエスを呼ばせました。
「お母さんと兄弟姉妹が外であなたのさがしておられます」

その時のイエスの返事が冒頭の聖書の言葉です。

親族たちは、イエス・キリストが家族と一緒に帰ってしまうと思ったことでしょう。
ところが、イエスはみんなを見回して言われました。
「ここに、わたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行なう人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」

「神の御心を行なう人」って言われていますが、まわりの人はどんなことをしていたのでしょう?

ただ、イエス・キリストのまわりに座って話を聞いていただけです。

生きるのに精一杯で、みんな自分がどんな存在かわからなくなっていました。
お金を払ったわけでもお願いしたわけでもないのに、イエス・キリストは一方的に近づいて来てしっかり抱きとめ、病気もいやしてくれました。
そして神の愛のメッセージを伝えてくれました。

「ずっとこの方がそばにいてくれたら・・・」
そんな思いでまわりに集まっていた人々は、親族が来たという知らせを聞いた時、「それなら仕方がない・・・」と思ったことでしょう

ところが、イエス・キリストは言われました。
「私はあなたを離れてどこへもいかない。あなたこそが私の家族なのだ」

復活されたイエス・キリストはあなたと一緒におられます。
あなたを最優先されます。

「神様、わたしの命に意味がありますか? 私は何のために生きているのですか?」
・・・
神様の答えを聞くためにただイエスの前に座るあなたを「私の兄弟、姉妹」と呼ばれます。
一緒にいることを最優先されます。

イエス・キリストはいつも同じメッセージを伝えるためにずっとあなたと一緒に生きておられます。

「あなたは神の宝物」です。