新約聖書 マルコによる福音書 2章27節
「・・・安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。・・・」

イスラエルの民は、ずっと「安息日」を大切な日として守ってきました。
金曜の日没から土曜の日没までです。
日曜から金曜まで働き、金曜の日没から土曜の日没まで命の創造者である神様を礼拝してきました。

神様が一週に一日「安息日」を守るように命じられたのには意味があります。
「すること」「しなくてはならないこと」にはキリがありません。
「すること」「しなければならないこと」に振り回されていると、まるで「すること」「しなければならないこと」のために生きているような思いになります。

「一体、自分は何をしているんだろうか?」・・・
と考える頃にはすでにヘトヘトになっています。

一週に一度、自分の命は神様によって特別な存在として創造されたこと、いつも愛され、導かれていることを確認して進みます。

この「安息日」は人間のために決められたのですが、ユダヤ人のリーダーたちは、これも厳しいルールにしてしまいました。
「安息日をまもる」といことについて「守り方」などの細かいルールを作り、それをしっかり守ることが大切だと教えるようになりました。
「安息日」とは名ばかりで、全く「安心して心と体を休める」ことなどできません。

イエス・キリストははっきりと言われました。

「安息日は、人のために定められた」

あなたは、愛されるために生きています。
何かができようとできまいと、あなたは、ただ生きているだけで神様に喜ばれています。
あなたは宝物です。
それを確かめるため、しっかり休みましょう。
そして命を創造して下さった方に話しかけます。
自分がどんな存在か確認できると感謝して喜んで生きられます。
神様の宝物として。