新約聖書 マルコによる福音書 1章35節
「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、『みんなが捜しています』と言った。イエスは言われた。『近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。』そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された」

イエス・キリストは、30歳頃、人々に神のメッセージを伝えるために宣教活動を始めます。
病気や悩み、困難など、人々を苦しめているものから彼らを解放しました。
人々は自分が愛されていたことをそのメッセージと癒しによって教えられました。

そんな時、イエス・キリストは朝早く起き、人里離れたところに出ていきました。
祈るためです。
命をつくり出し、愛して導いておられる神様と心を通わせるためです。

祈っているところに弟子のシモン・ペテロ達が来ました。
朝起きてみるとイエスがいなかったので捜しに来たのです。
彼らは言いました。
「みんなが捜しています」

人々はイエスにずっと一緒にいてほしかったことでしょう。
その波にのまれる前にイエスは祈りに行きました。

イエスは言いました。
「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである」

私にとっても、祈りはとてもとても大切なものです。
自分の生きている意味を確認する時だからです。

仕事や生活に追われたり困難な問題が起こってきたりすると、その対処に心が奪われて自分の生きている意味がわからなくなります。
祈りと聖書は生きる意味を確認させてくれます。

「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」(ヨハネによる福音書17章3節)

「神を知るために」生きています。
神様が愛である事、自分が、また一緒に生きている人たちが神様の宝物として愛されていることを知るために生きています。
仕事やすべての問題はそのための道具です。

人は神様の宝物として愛されるために生きています。