新約聖書 使徒言行録 1章6~8節
「さて、使徒たちは集まって、『主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか』と尋ねた。イエスは言われた。『父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊がくだると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、私の証人となる』」

この先世の中がどうなるのか、どんなことが待っているのか、知りたいところです。
復活されたイエス・キリストに会った弟子たちもそれを聞きました。
しかし、イエスは言われました。
「それはあなた方が知ることではない」

では、人間は何を知ることができるのでしょう?

神と神の愛を知ることができます。

「ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがた間もなく聖霊による洗礼を授けられる」(5節)

預言者ヨハネは、人々に「神様を離れて生きている罪」を指摘しました。
自分が自己チュウに生きて自分やまわりの人を傷つけていることに気づいた人たちはヨハネのところにやってきました。
そして自分の罪を告白し、ヨハネからヨルダン川につけられる洗礼を受けました。
いわば、自己チュウから神様中心への方向転換です。

洗礼は受けても、人間の内側にはどうしても自分勝手に生きようとする力が働きます。
そんな人間に神の霊(聖霊)がくだってこられます。
もちろん、本人の希望によってです。

神は人間の意思を尊重されます。
自分が自己チュウを離れて神の愛に生きることを望むなら、聖霊がくだってこられます。
するとどうなるのでしょう?

(その2に つづく)