新約聖書 使徒言行録 28章8~9節
「ときに、ププリウスの父親が熱病と下痢で床についていたので、パウロはその家に行って祈り、手を置いていやした。このことがあったので、島の他の病人たちもやって来て、いやしてもらった」

使徒パウロは無実の罪で訴えられ、ローマに船で護送されていました。
船は嵐に会って難破し、乗船していた人たちはある島に上陸します。
そこの住民は彼らを介抱してくれました。
その時、神はパウロを用いて多くの病人をいやされました。

パウロは「病人をいやす」という奇蹟を行ないました。
しかし、ローマに護送されていく状況から自分を救い出すことはできませんでした。

「ローマに行ってイエス・キリストのメッセージを伝えること」が彼の大切な役割だったからです。

イエス・キリストの誕生に際して一人の天使が母マリアの婚約者ヨセフに現われて言いました。

「イエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。… 『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』 この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」(マタイによる福音書1章21~23節)

「罪」は、「神様を離れてまとはずれに生きること」です。
イエス・キリストは、人間を罪から救うため… 言いかえると、神様との関係を回復するために来られました。
神を離れて生きてしまう人間に、命がけでメッセージを届けて下さいました。
「人は神の宝物。だれも見放されず、いつも神が一緒に生きて下さっている」と。

神様の大きな御計画の中で生かされています。
その全体を知ることはできません。
本当に神がおられるのか疑いたくなるような現実にふりまわされることもあります。
しかし、その真っただ中で、確かに神は一人ひとりの人と一緒に生きて下さっています。

今どこでどんな状態にあるとしても、そこにあなたのために全能の力を用いてすべてのことを益として下さる神がおられます。
あなたの人生は力強い手で導かれています。

大きな流れの中でどうしようもないように思えても、今、神の宝物としてできることがあります。
今、神はあなたを通して神の栄光を現わされます。