旧約聖書 歴代誌下 26章5節
「彼が主を求めている間、神は彼を繁栄させられた」

イスラエルの歴代の王の中にウジヤという人がいます。
彼は16歳で王になりました。
彼には、いつも神を指し示してくれる相談役のゼカルヤがいました。
ゼカルヤが生きている間は主を求めていました。
そして、「ウジヤは、神の驚くべき助けを得て勢力ある者となり、その名声は遠くにまで及んだ」(15節)と書かれています。

聖書の言葉は続きます。
「ところが、彼は勢力を増すとともに思いあがって堕落し、自分の神、主にそむいた。彼は主の神殿に入り、香の祭壇の上で香をたこうとした」(16節)

ウジヤは王でしたが、祭司ではありませんでした。
しかし、自分の勢力が増した時、自分は何でもできると思いこみ、祭司のすることまでしてしまいます。

神が人間を創造されました。
人間に生きるための様々な能力を与えられました。

神様にいちいち相談しなくても出来ることがたくさんあります。
健康で環境が整っているなら、何でもできる気がします。

ここに落とし穴があります。

体の様々な能力が衰えたり、何かのことで環境がガラッと変わってしまったら何もできなくなってしまうちっぽけな存在なのに、思いあがってしまうことがあります。

人はどんな風に生きていけばいいのでしょう?

(その2に つづく)