旧約聖書 哀歌3章18~20節

「わたしは言う

 『わたしの生きる力は絶えた。ただ主を待ち望もう』と。

 苦汁と欠乏の中で貧しくさすらったときのことを決して忘れず、 覚えているからこそ、

 わたしの魂は沈み込んでいても再び心を励まし、なお待ち望む」


これは、みんなが神様を離れて自己チュウに的外れに生き、とうとう国がボロボロになっていく様を見させられた預言者の言葉です。

「哀しみの歌」です。


誰かがどこかで、

うめいて、叫んで、ぽろぽろ涙を流して、飢えて、凍えて、さまよって、飲んだくれて、荒れて暴れて、無茶をして、薬にもうろうとして、絶望して首に紐をまいて・・・


このブログの準備を始めてから3時間・・・

この間に、統計からすると、この国で10人の人が自殺されました。

わたしがブログを書いている間に・・・


悲しみの命はイエスキリストの腕にしっかりと抱きとめられています。

そして、今悲しみの中にある人のそばにイエスキリストが共におられます。


命がけでイエスキリストのメッセージを伝えたパウロが書いています。

「だれかが弱っているのに、わたしは弱らないでいられるでしょうか」

   (コリントの信徒への第2の手紙 11章29節)