新約聖書 エフェソの信徒への手紙 4章32節

「互いに親切にし、あわれみの心で接し、神がキリストによってあなた方をゆるして下さったように、ゆるし合いなさい」


こんなヤツのそばにはいられない・・・

こんなコトたえられない・・・

はやくこんな状態から抜け出たい・・・

こんなジゴクから救われたい・・・


もし、そこから抜け出られたら、

「あ~ 良かった。 助かった・・・」

・・・ つらく、悲しく、苦しい場所や時がすぎ去ってくれればどれだけ幸せでしょう。


でも、イエスキリストは、ず~~~~~~~~っと

誰かの苦しみのそばにおられます。

一人が抜け出ても、だれかがそこにいます。

ず~~~~~~~~~~っと泥沼の中です。


「彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する」

                 (旧約聖書 イザヤ書53章11節)

「彼」は 「イエスキリスト」

「光」は 「わたしたちの救い出されること」 のことです。


イエスキリストが喜びとされるもの・・・

自分の、誰かの苦しみのかたわらにおられるイエス様に気づかされたいと思うのです。