今日、旧約聖書のイザヤ書60章というところを読んだ。


なんかうれしくなる神様の約束が書かれていた。


「自分への約束だったらうれしいのに・・・」

とか思いながら読み進んでいくと、ある箇所がストンと心に落ちた。


「・・・

 わたしがあなたに与える命令は平和

 あなたを支配するものは恵みの業」(60章17節)


「平和を大切にしろ」ってことか ・・・


実際、「ドツボにはまっている」ような感覚になると、ついイライラ・・・

言葉や行動がトゲトゲして近くにいる人にイヤな思いをさせる。


自分が悩んでいることをしっかりわかってくれよ! ってカンジ。


実はまわりの人の方が心配してくれているかもしれないのに、

ほんとワガママな話。


悲しいかな、自分はこんな生き方をず~~~~っと続けてきた。

最近、荒れ狂うことはなくなってきたけど、

「イヤ~~~な気配を放ちながら注意を引こうとするクセ」 は続いている。


だから、

「平和を大切にしなさい」 って言われると、


「そうだよなあ。やっぱり」 と素直に思う。

でも、「言うのは簡単だけど・・・」 とも思う。


今日の聖書のうれしかったのは、それで終わらなかったこと。

「あなたを支配するものは恵みの業」


「恵み」っていうのは、一方的なゆるし。

「どんなにバカでも、とことん付き合うよ」 っていう約束。


神様から、

「反省しているようだからしばらく様子みたけど、

 やっぱりダメ!。 お前はダメ。

 もう勝手にしたらいい。

 お前は救いようがない!」

とか言われたら、もうひねくれるしかない。


でも、

「お前はバカだけど、大切な宝物だから見捨てることなんてありえない。

 決して見捨てない!(これが「恵み」)」って言われたら、


「ようし、もうちょっと「平和」にとりくんでみるかな!」 という気になる。


そして、

「ま、いっか。 じたばたしてもどうなるわけでもないし、

 とりあえず、みんなと仲良くしてよ!」

って思うころには、トゲトゲはなくなって、平和・・・

そして、自分のワガママもあらためて反省。


「皆さん、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。

 でも、自分は神様から宝物だと言われていることがまだよくわかっていません。 お付き合いをよろしくお願いします」 ・・・ 

という思いです。


すべてを創造された神様が一緒に生きてくれている。

そして、一緒に生きてくれる人を準備してくれている。


「自分でトゲを出す前に、もうちょっと、

 一緒に生きてくれている人に心を向けたい」

とつくづく思うのです。


「自己チュウ」から心を離すと、

 自然や鳥たちさえ一緒に生きてくれていると感じるのです。


ナカナカムズカシイですが ・・・