旧約聖書 イザヤ書58章13節-14節


「安息日に歩き回ることをやめ

 わたしの聖なる日にしたいことをするのをやめ

 安息日を喜びの日と呼び

 主の聖日を尊ぶべき日と呼び

 これを尊び、旅をするのをやめ

 したいことをし続けず、取り引きを慎むなら

 そのとき、あなたは主を喜びとする。

 ・・・」


「安息日」は、金曜の日没から土曜の日没まで。

あらゆるものを創造された神様を信じるユダヤ人が大切にしている礼拝の日。

クリスチャン(もともとは、イエスを救い主[キリスト]と信じたユダヤ人の一派)は、

イエス・キリスト復活の日を選んで礼拝する日(主の日)とした。


自分を含めてすべてのものは 『創造されたもの』 、

そして、命も能力もなにもかも 『与えられたもの』、 

なので、すべての責任者であられる神様を覚えて礼拝する。


うれしいこと、悲しいこと、つらいこと・・・

自分の失敗や問題なども、責任者であられる神様にゆだねる・・・


それは、

たたえる讃美であったり、

ありがとう、ごめんなさい、お願いの祈りであったり・・・

自分たちがどのような神様を信じているのかメッセージを通して確認したり・・・

献金の形ですべてが与えられていることを具体的にあらわしたり・・・


安息日(礼拝)を通して、


自分がちっぽけな被造物にすぎないこと、

だからこそ、まちがいや失敗、罪に満ちていること、

でも! 愛されていることは変わらないことを確認!


そして、どんな状態であっても、

「さあ、もう一度生きなさい」と新しい1週間に押し出していただく。


この礼拝を通して、神様のすばらしさが身に沁みてくる。

そして、冒頭の聖書のことばのとおりになる。


「そのとき、あなたは主を喜びとする」


神様を信じて礼拝していくと、神様を知っていることがうれしくなる。

み~~~~んな、そうなる!

地球に住む人々の考えや思いはみんな違う。

なのに、

神様を知れば、みんなうれしくなる。


あの人にはいいけど、この人には通じない・・・

などということはおこらない。


60億の人が生きている今なら、

神様がどんなにすばらしいかを表現する60億の方法があるはず。

動物たちを入れたら、もう数え切れない。


自分がわかったと思っている神様のことは、ほんの一部。

でっかい愛のかたまりの神様を礼拝できるのは本当にうれしいこと。


日曜日、それぞれの場所で、

目覚たら、まず、「神様」と呼んでみよう。

たとえ教会にいけなくても、安息日(主の日)を大切にできる。

きっと、神様を喜べるようになる。


ワクワク・・・