【投稿】東京オリンピックと在日ベラルーシ人の活動 | ロシア・CIS・チェチェン

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東京オリンピックと在日ベラルーシ人の活動

佐藤和之(佼成学園教職員組合)

強制帰国に対する救援行動

2021年夏、東京五輪に出場したベラルーシ陸上代表のクリスチナ・チマノウスカヤ選手の亡命劇は、日本社会だけでなく、世界中から注目を集めた。彼女は出場経験のない1600mリレーの出場を要求され、その不満を7月30日にインスタグラムに投稿すると、8月1日に強制帰国させられることが決定。当日夕方、ベラルーシ本国にいる家族と電話で相談すると、帰国後に投獄される可能性が高いと分かり、自分のトレーナーの出身地であるオーストリアへの亡命を決意。しかし、駐日オーストリア大使館の場所は分からず、ベラルーシ人の感覚では、警察など信用できない。しかも、コーチを装った見知らぬ男2人が、選手村から空港まで同行していた。

 

だが、在日ベラルーシ人らのネットワークが動き出していた。1日19時、チマノウスカヤ選手は空港に向かう直前、リトアニアに本部をおく、「ベラルーシ・スポーツ連帯基金」(BSSF)に電話をしていたのだ。BSSF本部は日本支部の在日ベラルーシ人に連絡し、そこから彼女に電話で指示が入る。またBSSFは、「国家反危機マネージメント」(NAU)に状況を知らせ、そこから「在日本ベラルーシ人の会」に連絡が行き、東京在住メンバーが羽田空港へ向かった。

 

さらに19時21分、BSSFは彼女のSOSをテレグラムに投稿。「ベラルーシ選手団代表が、この選手を送還し、緊急に航空券が発行され、現在、荷物を持って空港に向かっている」といった内容で、この情報が世界に拡散されることになる。筆者のところにも、ベラルーシを経由して、メッセンジャーで連絡があった。やがて、報道関係者も羽田空港に集まり、ロイターなど世界のメディアが事件を報道しはじめた。

 

19時30分、チマノウスカヤ選手はチェックイン・カウンターに並んでいた時に、警備していた警察官に声をかけ助けを求めた。警察官は最初、他の選手らと様子が違うわけでもなく、どんな危険にさらされているのか分からなかったらしい。だが、日本人ジャーナリストが英語で通訳し、まず、コーチを装った見知らぬ男2人を追い払った。21時頃、警察官らは詳しく事情を聴くため、彼女を連れて空港内の交番へと移動。そこに、「在日本ベラルーシ人の会」の東京在住メンバーも到着した。

 

他方、NAUは各国の政府関係者らに連絡を取り、23時すぎには、ポーランドへの亡命の内諾と駐日ポーランド大使館での保護が決まった。亡命先を決めたのは、ベラルーシの元外交官でNAU代表の パヴェル・ラトゥーシュカ氏。彼はベラルーシの駐フランス、駐ポーランド大使や文化相を務めたが、ルカシェンコに批判的となり、2020年年9月、政権から脅迫を受けてポーランドに亡命していた。ラトゥーシュカ氏は大使時代の人脈を生かして、まず彼女が希望したオーストリア、そしてドイツ外務省に連絡。さらに、ポーランドの政府関係者にも連絡を取った。日本時間8月5日、チマノウスカヤ選手はワルシャワに到着し、ラトゥーシュカ氏が出迎えた。

 

振り返ると、ベラルーシと日本の事情を熟知する在日ベラルーシ人が、異国で途方に暮れるチマノウスカヤ選手に、電話で迅速かつ的確な指示を出し、日本の警察とも交渉したことが大きい。後日、筆者も日本のマスコミから取材を受けたが、実際に報じられたのは、せいぜい「翻訳アプリ」の使用にすぎない。在日ベラルーシ人らの救援活動を称賛したのは、多分、スヴェトラーナ・チハノフスカヤ氏のSNSだけだろう。さらに言えば、事情こそ違うがウガンダに送還された五輪選手の先行事例があり、この事件をめぐる日本政府の態度を批判する世論も、問題解決に好影響を与えたのかもしれない。

 

東京五輪と「在日本ベラルーシ人の会」

事件に先立つ7月23日、東京・晴海にある「東京オリンピック選手村」前において、ベラルーシ選手団への激励行動が決行された。炎天下、「在日本ベラルーシ人の会」のメンバーとその家族、日本人支援者ら約20名が結集。開会式前の約1時間、来日した選手を激励すると同時に、周囲にベラルーシの現状を、次のように繰り返し訴えた。

 

すなわち、ルカシェンコが6選を決めた2020年8月9日の大統領選後、不正を主張する市民の抗議デモを治安当局が弾圧。これに対し、スポーツ選手2150名が抗議の公開書簡に署名した。しかし、政権側は署名撤回を求め、拒否した選手らを弾圧。それでも、7名は署名を撤回しないまま、代表として来日した。国威発揚のために五輪を利用するルカシェンコ政権は、彼らを排除しきれなかったのだろう。

 

ただし、この7名の中に、チマノウスカヤ選手は入っていない。たしかに、彼女はインスタグラムで民衆デモに対する暴力に反対し、7月30日の100m予選でも、スタ-ト前に反政権派のシンボルであるハートのポーズをとっていた。しかし、政治に積極的にかかわってきた選手ではなく、自由に対する抑圧に抗議しているにすぎない。スポーツ選手として人らしく生きたい、という思いを訴えているにすぎない。

 

全体としては、来日したベラルーシ五輪選手団108名中、7名が抗議書簡に署名し、42名 が政府支持の書簡に署名し、残り59名がどちらの書簡にも署名していない。しかし、政治的信条でスポーツ選手を差別・迫害する、ルカシェンコ政権にこそ問題がある。実際、国際五輪委(IOC)は、ベラルーシ五輪委会(BOC)会長でもあるA・ルカシェンコや、息子で同副会長の V・ルカシェンコらに制裁を課していた。本来、BOCは政治から選手を守る立場にある。

 

そこで、在日ベラルーシ人らは、反ルカシェンコのシンボルとなった「白-赤-白」旗を掲げ、特に弾圧に屈しなかった7名を中心に激励行動を展開した。オリンピック開催じたいに反対する人も少なからずいたが、闘うアスリートに罪はないと考え、連帯の意思をとどけることを決意。とりわけ8月7日、北海道で実施された女子マラソンでは、沿道で「白-赤-白」旗を掲げ、抗議署名を撤回しなかったオリガ・マズレノク選手を最後まで応援した。

 

東京五輪と「ベラルーシ・スポーツ連帯基金」

さらに遡ると、2020年11月14日、「ベラルーシ・スポーツ連帯基金」(BSSF)は、東京・新宿でも街宣と募金活動を展開している。先述した通り、反政権デモを支持するアスリートへの弾圧の中で、BSSFは彼らを支援するために設立された。その主要な活動と基本的性格は、BOCとの連携拒否、ベラルーシにおけるスポーツ国際大会の否認、そして抑圧されているアスリートへの支援と情報発信だと言ってよい。実際、ベラルーシには政治犯として獄中にいる選手が7名、意見表明したことで代表チームから外された選手・コーチが36名おり、さらに、国外退去を余儀なくされた選手も少なくない。

 

他方、「在日本ベラルーシ人の会」は、同年8月9日の大統領選挙直前、日本での在外投票制度の廃止が契機となり、創設されていた。したがって、東京五輪開催を目前にしたBSSF日本支部の活動は、当然この組織も協力する形で展開されたのである。ちなみに、メンバーは女性が多く、職業はピアニスト、大学院生、演劇家、通訳、画家、ダンサー、大学教員など様々だ。とくに政党・党派の活動家や労働組合員はおらず、普通のベラルーシ人たちである。

 

日本の街頭での活動に対する反応は鈍かった。日本住民にとって、ベラルーシは縁遠い国で、空間的にも精神的にも距離があるのは仕方がない。だが、「欧州最後の独裁国家」にいるベラルーシ人に同情はするが、「アスリートは、政治に口出しすべきでない」「スポーツ・芸術・宗教に、政治を持ち込むべきではない」という意見も多かった。しかし、治安当局によるデモ参加者への暴行は、政治以前の問題であり、国家権力による犯罪である。東京五輪でのチマノウスカヤ選手も、ドーピング検査をめぐるミスを犯したコーチ陣が、練習もしていない種目への出場を決定したことに対し、異議を唱えただけだ。まさに政治以前の行為だが、独裁国家の政治権力は、これを許さなかった。

スポーツと現実政治

チマノウスカヤ選手の亡命劇が続いていた8月3日、ウクライナのキエフにおいて、ベラルーシ人のビタリー・シショフ氏の首吊り死体が発見された。彼はベラルーシで抑圧された人々をウクライナに脱出させるNGO代表を務めており、死体の鼻が折れていたことから、警察は「自殺を装った殺人」の線で捜査中だ。チマノウスカヤ事件との関連は不明だが、世界各地に存在する亡命ベラルーシ人らは警戒を強めている。翌4日、こうした情勢をうけて、ドイツに国外退去していた陸上のヤナ・マクシモワ選手が、インスタグラムで、ベラルーシには戻らないと表明。彼女は北京五輪とロンドン五輪の出場経験があり、チマノウスカヤ選手とも連絡を取っていた。

 

ところで、東京五輪の聖火最終ランナーは大坂なおみ選手だったが、彼女は2020年の全米オープンテニスで、ブラック・ライヴズ・マター(BLM)運動を意識したマスクを着用していた。最近のスポーツ界では、こうした選手のアクションが、一定の条件下で容認される傾向にある。その全米オープンテニス決勝で、大坂なおみ選手が対決した相手は、ベラルーシのビクトリア・アザレンカ選手だった。彼女はロンドン五輪出場の経験もあるが、東京五輪は出場を直前になって辞退した。

 

また2021年5月、ワールドカップ・サッカー予選でミャンマーから来日したピエ・リアン・アウン選手は、国家斉唱の際、クーデタを強行した国軍への抗議を示す、3本指を立てるポーズをとった。彼は帰国後に投獄される可能性が高いため、日本にとどまり難民申請し最近認定された。東京五輪に参加したミャンマー選手団は2名だったが、競泳のウィン・テット・ウー選手は、「国軍政府のプロパガンダに利用されたくない」として、出場をボイコットした。

 

五輪憲章第50条には、「五輪の用地、競技会場、またはその他の区域では、いかなる種類のデモンストレーションも、あるいは政治的、宗教的、人種的プロパガンダも許可されない」と規定されている。だが、治安部隊や軍によるデモ参加者へ暴行や殺害も、あるいは警官による黒人容疑者の絞殺も、国家権力による犯罪であり、普遍的な人権・人道にかかわる問題だ。ましてや、チマノウスカヤ選手の事件は、理不尽な命令であっても、従わない者は弾圧するという、選手の人格さえ無視した暴挙に他ならない。これらはどれも、保守や革新、右翼や左翼といった政治的立場以前の、イデオロギー・フリーの問題だろう。しかし現実政治の世界では、政治権力の側こそが、スポーツの世界に介入してくる。

 

不正大統領選から1年

不正大統領選から1年となる2021年8月9日、ベラルーシ内外で動きが見られた。ルカシェンコは8時間におよぶ記者会見を開き、自己の行為を正当化しロシアとの関係を強調する一方、反政権派と欧米を批判した。現在、ベラルーシが制裁への報復として、不法移民をリトアニアへ送り込んでおり、両国の対立が深まっている。国内ではゲリラ的なデモが散発しているが、25名の独立系ジャーナリストが獄中におり、約50の市民団体が閉鎖されているのが現状だ。5月24日、独立系メディア「NEXTA」の創設者ロマン・プロタセビッチ氏が搭乗する旅客機が、ミンスクに強制着陸させられ、その場で彼は逮捕された。NGOについては、孤児やDV被害者を支援するボランティア団体さえ、活動停止に追い込まれている。

 

他方、東京五輪開催中の8月7日、ベラルーシの国内外で、「自由のためのマラソン」が開始された。主催はBSSFで、期間は8月7日から16日までの10日間。反政権デモに参加した約35000人が有罪となったのを批判するため、都合の良い日と安全なコースを選んで1人2334mメートルを走る。約3600人が賛同し、8月9日には、ポーランドに亡命したチマノウスカヤ選手も走った。彼女は、過去に獲得したメダルも競売に出し、アスリートを支援する立場を鮮明にしている。

 

彼女は、ポーランドでのインタビューやインスタグラムで、次のように語る。すなわち、「ベラルーシの人々はデモに参加するのも怖がっている。殴られるか、刑務所行きになるのが怖いから」、「祖国には自由な国になってほしい。すべての国民が言論の自由を得て、誰もが普通の生活を送ることができ、恐怖心を持たずに済むようになって欲しい」。さらに、今後については、「私が走り続けることでベラルーシの人々、自由なく弾圧を受けている人々を応援したい。次の五輪にも出場したい」、「私は特別な意味のある9日、新しいベラルーシのために走る」と宣言した。