【6/6 繁栄一転語】 | 日本の繁栄は絶対に揺るがない

【6/6 繁栄一転語】

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63》常に神仏への信仰を持っている人は、「公正」であろうとする。

(『コロナ時代の経営心得』より)

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 常に神仏であればどちらを選択されるのか。能力を超えた神仏の御心の領域にまで思いを巡らし、「公正」であろうと努力されたリーダーとして有名な方として、一人はリンカーン大統領、もう一人松下幸之助がおられます。大川隆法総裁の経典よりお二方のエピソードをご紹介いたします。


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◆経典『リーダーに贈る 必勝の戦略』(p.92-95

 友人がホワイトハウスに泊まっていた夜中に、ある部屋を覗いてみると、リンカーンが四つん這いになり、床のじゅうたんに爪を立て、脂汗を流し、涙を流しながら低い声で神に祈っている姿を見ました。

 リンカーンは、南北戦争に対して、「ほんとうに神の意に適っていることなのかどうか。間違っていないのかどうか」神仏へ正しき導きを求めて一生懸命に祈っていたのです

《中略》

 上に立つ者は能力だけで、すべてを解決できるものではなく、最後は、仏や神と同通しなければ、国難を乗り切ったり、人類を正しく指導したりすることができません謙虚な心が非常に大事になります


◆「『経営成功学の原点』としての松下幸之助の発想」(p.49-50

 「千人ぐらいになると、会社の人が、お願いしないと動いてくれないぐらいの感じになってきて、一万人以上の規模になると、お願いしたぐらいでは動かないような組織体になってきて、もう祈るような気持ち、社員を拝む感じで、『本当にお願いするから頼む。そのように動いてほしい。やってほしい』というように、祈るような経営をやっていた」そのようなことを松下幸之助さんは言っているわけです。


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祈りを通して「病気を治してほしい」「試験に合格しますように」と必死に祈りを捧げることが間違っているとは思いませんが、動機において神さまと取引をしている時には、心は不安や恐怖で一杯です。これが御利益信仰からの祈りを捧げている時の心境だと思います。

逆に、自分にとって不利益があったとしても、「現実を受け入れます!」という自分を捨て、腹を固めた「公的な祈り」の段階になると大きな力と一体となり、心は凪いだ状態になります。

それぞれの人に、どこまで神近き判断を求められているのかはわかりませんが、常に「どちらの選択をしたのか」という自由の行使に対する結果に対して、あの世のお白子におられるコワーイ裁判官の前で裁定されるのですね。

「公正さ」を求めることは、自らの品性を磨き、「純粋な信仰」を持ってに生きることに近い生き方なのかもしれません。まだ間に合いますね😅


山野貴弘