《ミケランジェロの逸話》 「青年の思索のために」より | 日本の繁栄は絶対に揺るがない

《ミケランジェロの逸話》 「青年の思索のために」より


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《ミケランジェロの逸話》

「青年の思索のために」

   下村湖人著

p.86-87

 ある日ミケランジェロが友人と郊外を散歩していた。野原に苔むした黒っぽい石がころがっている。それを見たミケランジェロが「この中に美しい女神が虜にされている。僕はこの女神を救い出さなければならん。」と言った。友人は、その石がどういう石であるかもわからず、またミケランジェロがどういうつもりでそんなことを言ったのかも、その時は理解できなかった。

 ところが、それから数日の後、ミケランジェロは、人夫を雇って、その石を自分のアトリエに運び込み、セッセと鑿(のみ)をふるいはじめた。そして何ヵ月かの後には、アトリエの中に立派な大理石の女神の彫像が刻みあげられていたというのだ。これは単に美術家が気に入った石を見つけて、自分の思う通りの像を刻んだというだけのことではなく、人生に生きてゆくわれわれの態度に大きな暗示を与える話だと思う。

 いったいこの世の中には、われわれの周囲を見渡してもわかるとおり、最初から見事に光っているものは決して現われていない。どこもかしこも暗黒面ばかり、いやなものばかりで、ちょうど黒っぽい苔むした石ころのような感じがする。ところがミケランジェロはその中に美しい女神を見出した。それはどうしてかと言うと、ミケランジェロ自身の心に、自然理想的な女神の姿が描かれていたからである。山に黒っぽい石を見ても、これはすぐに女神の姿を思い浮かべ、その石に鑿をふるって、立派にそれを刻みあげようという願いをおこしたのである。

 この女神の像をわれわれの問題に当てはめてみると、それは人生愛だと思う。農村の青年たちの心に人生愛が燃えており、本気になって自分の良心を磨きあげてゆこうとする気持がありさえすれば、いやな思いばかりさせられる周囲の社会でも、それを立派なものに刻み上げることができるどうせこの世の中に、はじめから理想的なものがあるわけではない。良いものは汚いものの中に隠されている。それを愛情を持って救いあげていくのがわれわれの対人生態度の根本だということを私は強調したい。

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仏陀の教えで、「この世は醜くて汚い。要するに、沼の底、泥の底のような汚い世界だ。でも、その汚い材料のなかから、蓮はスーッと茎を伸ばす。泥池のなかからでもスーッと茎を伸ばして水面から脱したときには、本当に天国のような、真っ白なきれいな花を咲かせる。潔白な花を咲かせる。」

(大川隆法著「地獄の法」p.67)

これを「泥中の花」と言います。

人生で出会うことに無駄なものなど何一つない。環境は変えられないが、このような心がけを教えられたことに感謝です🙇‍♀️🐘🌎