東京都立代々木高等学校の青春 -15ページ目

東京都立代々木高等学校の青春

東京都渋谷区上原2-2-20
都立代々木高校。
校風は、何もかもとても自由だった!!
2004年3月閉校。

地の利で、代々木高校はいい立地に恵まれていました。


渋谷、原宿、新宿、代々木、下北沢などに近いので遊びもバイトも通学もとても便利でした。


代々木高校にきて、友人とあちこち行き行動範囲がずいぶん広がりました。


なにかの打ち上げで新宿のディスコカンタベリーハウスへ行ったのを思い出しました。


新宿、渋谷が多かったです。


特に新宿は高層ビルがまだ名前を言えるくらいしか建ってませんでした。

京王プラザもまだぴかぴかでした。

安田生命ビルもまだ明治安田ではありませんでした。

三井も住友もです。


伝説の喫茶店「六本木」も新宿にありました、トースト食べ放題で、ある生徒が1斤食べて有名になりました。


六本木もたまに行きました、ニコノス、バーガーイン、USクラブ。


渋谷のこれまた伝説の「午前中の時間割」がありました。



先端の渋女こと、渋谷女子高校はダサいジャンパースカートの制服である女子が制服で代々木高校に来た事がありました、たまに制服がないのに、前の高校の制服でなんちゃって制服で登校するひともいました。



カカ記



一日とか短期のものもありました。


一日1万円とかで、終わればおしまいで帰れました。


イベントの屋台のバイトです。


二年生以降でしたが、級友のお兄さんが食品関係でしたので、あちこちの会社の運動会や納涼会や親睦会のイベントの屋台を出します。


大抵、やきとり係で、冷凍の焼き鳥なので解けた水分で煙がすごくて涙がでました、仕入れは1円2円の世界です。

もうかってました。

氷係はやはり技術がいるので、やれませんでした。


大抵、タダなので券や金銭の受け渡しがないから楽でした。


きれいなおねいさんには多めにあげたりしていました(笑)。



カカ記

夏冬は郵便局で配達のバイトをやりました。


自転車で街の果ての方だったので、配達地域にいくのが大変でした。


夏は、暑くて、若かったからなんとかやってましたが、出始めの500mlのコーラを一気飲みしてました。


夏は、郵便物が少ないので、午前中で終わる事も多くて、配達自体も覚えてしまえば、楽でした。

帰ってきて、局舎に入るとクーラーが効いていてホッと一息でした。


 

カカ記


夏休みは試験休みの自宅学習を含めると2ヶ月ちかくあったのでアルバイトをやる人が多かった。


冬休みも春休みも自宅学習日を含めると、一月ちかくあったのでやはりアルバイトや遊びまわってました。


働いている人への配慮で宿題がほとんどないのが良かったです。


実際はアルバイト程度の人が午後部は多かった。









東京都立代々木高等学校の青春


私立の代々木高校は、なぜ同じ名前をつけたのでしょうか??


三部と定時と2つありました。教員室も生徒募集も文化祭も別でした。


交流会は全くなく、そのシステムをよくお互い知らなかったです。


交替部というクラスがありました。


朝昼夜いつでも自分の都合に合わせて登校し授業をうけれました。


かなり珍しい制度でした。






雑魚

夏休みが試験休みを含めるとかなり長かったです。


ただ、全日制の公立高校のように、短縮授業とかはなくて、テスト後は自宅学習です、一日は担任と面接がありましたが。

補修受ける人もいたなあ。


普段、アルバイトしない人もアルバイトをやる人が多かったです。



職を持ってる人は残業とかやっていたのかもしれません。



カカ記



働いている人に配慮していたのか、普段の宿題はほとんどないので、予習復習の習慣がつかなくなりました。


夏休みも宿題といっても、一年の時、確か国語の感想文、地理で二カ国を決めてレポートと数学の問題??くらいでした。


最初のうちは、忘れましたと言っていて、結局冬休みになってしまい、出さない人もいました。


かなり、ゆるゆる。




カカ記