東京都立代々木高等学校の青春 -14ページ目

東京都立代々木高等学校の青春

東京都渋谷区上原2-2-20
都立代々木高校。
校風は、何もかもとても自由だった!!
2004年3月閉校。

2014年3月で代々木高校が閉校になり、10年がたってしまいます。


年月の流れは速いです。


いつのまにか、21世紀にいる。


20世紀の想像とは違い、クルマはやはり地を走っている。




カカ記

転校生で、謎が多い少女がいました。


休んだから、どうしたの?と聞くとさぼって映画みたの、と言い。


なんと「ソドムの市」見て気持ち悪いとか。


ワンゲルが山のぼりの話していたら、わたしも丹沢いきたいな、とか。


不思議少女でした。


そんな、女子が好きでした。


カカ記



一年生の生物、二年生の化学は週に4時間あり、2時間は授業で、あとの2時間は実験室で実験でした。


その、実験をもとにレポートの提出がありました。


その頃でも、高校で毎週のように、実験をやっているところなどありませんでしたから、けっこうためになりました。


実験助手、理科助手は大学の二部に通う学生で、一緒に喫茶店いったり、確か遠足にもついてきました。

ほとんど、年齢がかわらないから、ともだちのような感じでした。


実験レポートが残っていればかなりの貴重なものだと思います。



カカ記

代々木高校に入学、転入してくる生徒のなかには、病気をかかえている生徒がかなりいました。


体育の見学者がけっこういました、見学者は記録とかの手伝いの他に、普段は課題を与えられて、レポートを実技代わりに提出していました。


私もからだ弱かったから、体育の種目により見学でした。

バスケットや陸上競技などは見学していました。


午後部は見学者が多いから、男女一緒の体育で先生が二名ついていました。


バスケやバレーボールは人数ぎりぎりでした。


単独のソフトテニス、卓球、バドミントンなどは個人なので好きでした。


卓球は体育館ではなくて、集会室で行いました、あまりうまくないけど、けっこう好きでした。



病気の生徒のなかには、かなりシビアな状況でその後亡くなった人もいます。


その頃は知りませんでしたが、血液を交換していると言っていた女子がいましたが、今考えれば透析をやっていたのだと思います。


いろいろと、こころやからだに問題をかかえている生徒がたくさんいました。


今では、普通に認識している事も、そのころはぜんぜん考えていませんでした。



カカ記

もう、30年以上前の事です。


二学期に、とてもきれいな転校生がきました。



朝、一番で登校していたので、その女子も早く登校していて、駅で待っていてくれたり、待っていたり、登校の時と、学校についてから教室でみんなが来るまでのちょっとした時間に、音楽の事、映画の事、いろいろなことを話すのが楽しみでした。



いまごろ、どうしていているんでしょうかね。

Aさん、元気ですか?



カカ記



東京都立代々木高等学校の青春

中庭。クラブ活動でも使った。

東京都立代々木高等学校の青春

代々木高校の時食べたことのある食堂。

カツ定食AとBがあった。300円くらいだったような?チキンソテーは400円くらいで高かった。


「洋食のわたなべ」とか言った。肉屋と兼業だった。


 雑魚