「偏(かたよ)った」考え方や、自分にとって異色のカルチャーや人間を一段下に見たり、自分とは関係ないものとして捉えたりする人が身の回りに多くて辟易する。
そういったものを一旦は受け入れてみることで考え方が変わったり、世界が広がったりするのに。受け入れた上で否定したり、肯定したりすればいいでしょう?
僕の周りには共産党員や右翼やアニメオタクや在日韓国人の友人がいる。彼らの話を聞いていると、そういうこともあるんだなと感心することが多い。他の多くの方と話をする時と同じようにね。
僕自身も統合失調症の精神障害者手帳保持者だし、Xジェンダーだしで、当事者性を備えている。でも、そのことを明かしても、僕の彼女(後の妻)は変わらずに付き合ってくれた。
神聖かまってちゃんやうみのてもエクストリームな音楽を奏でていて、一見異端だけれども、僕の世界は彼らに出会って変わった。物事を捉える射程が広くなったし、僕の内的世界は確実に豊かになった。
神聖かまってちゃんの「るるちゃんの自殺配信」を何回か聴いてみてほしい。海外からのコメントが多いが、"disturbing"(邪魔をする)というコメントに表されるような耳障りなボコーダーボイスがやがてクセになっていくはずだ。
もちろん、好きな音楽性は性癖と同じくらい多様なので、気に入らない方も出てくるはず。だけど、一旦は聴いてみて受け入れてみることがここでも大切なのではないか。その上で部分否定や全否定をすればいい。
うみのての「SAYONARA BABY BLUE」も何回か聴いてみてほしい。うみのて屈指の名曲だ。汚れること、落ちていくことをドキドキが止まんないと表現する感性に否定的な方も出てくるかもしれない。それでも、一旦は受け入れてみてほしい。
僕の耳には100万$のBABY BLUEが聴こえる。この曲の主人公の美しい歌声が聴こえてくるのだ。
神聖かまってちゃんやうみのては、アウトサイダーの感覚についても歌うバンドだ。曲名そのままの「犯罪者予備君」(神聖かまってちゃん)、東京駅に住み着いた狂人を描いた「東京駅」(うみのて)など、これらの曲は一旦受け入れてみることで、曲の主人公への共感が広がる。
殺人者となった曲の主人公を歌ったQueenのボヘミアンラプソディーを聴いてみて、胸を揺さぶられた人も多いはずだ。もちろん、殺人者を許すことなんてできないが、彼や彼女に共感してみることはできる。その上で、このような事件を社会で二度と起こさせないために考えてみることができる。
人を理解しようとするなんておこがましいけれども、共感ならできるでしょう? その上で部分否定すればいい。共感を持った上で、この部分は肯定できて、この部分は否定すべきという意見こそが多様性の時代に必要なのではないか。
「偏って」いるのは彼らかもしれないが、彼らから見たあなたも「偏って」いるんですよ。
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