かれこれ、7年目に突入のフエ市内、貧困地区で継続中の学習支援教室。

始まりは、JICAの草の根技協の活動の1つでした。

その後、T親分先生の資金提供の元、現在に至っています。

 

小学校4年生から教えていた子たち。これは、

彼らが5年生くらいの時に遠足に行った時の写真。

 

(下の写真が①)

 

 

それが、どうなっていくかと言いますと・・・、

 

(②:①の写真の茶色のキャップの男の子が、下の写真の

一番右端)

 

 

お父さんが左官だったのですが、感電死。

お母さんは市場の花売り。今回は、私のために、とお花をくださいました。

ちょっと反抗期もあったのですが、今はフエで3番目に難しい高校に

通っています。

 

(③:①の写真のVサインの男の子が、下の写真の赤のTシャツの

男の子)

 

 

この家の居間に机と椅子を置いてはじめた教室。

お父さんとお母さんは、借金返済のためにホーチミンに出稼ぎに

行っています。お母さんは、出稼ぎに行く前に、

「このクラスがあるから、この子は悪い道に行かないと思う。

お願いします」と言って、彼をフエ市に置いて行きました。

残った彼は、年の離れた姉たちと生活しています。

 

去年の9月お母さんと再会した時、彼女に泣いて抱きつかれたことは

きっと一生忘れないと思います。

そんなに支えになれていたとは・・・。

 

(④:①の写真の茶色のキャップの男の子の右隣りの女の子が、

下の写真の赤のTシャツの女の子)

 

 

きれいな女性になっていて、本当にうれしい。

お父さんとお母さんが、子どもの前で借金の話をしたり大変な家

で、「越僑(海外に暮すベトナム人)と結婚してアメリカに行くんだ」と

行ってみたり、大変でした・・。

実質、おじいさんとおばあさんに育てられているような感じ。

「まだ歌手になりたいの?」と聞くと、うれしそうに「なりたい!」と

言っていました。

 

(⑤:①の写真のペットボトルを持っている女の子が、

下の写真の黒のTシャツの女の子)

 

 

ここもね・・・、後ろにいるお父さんが大変で・・・。

まだ小学生だった彼女の前で、借金取りと大流血の喧嘩をするような

お父さん(⑤の写真もブルーのシャツの男性)。

借金を返すための仕事を見つける前にホーチミン市に行って

結局、手ぶらで帰ってくるような人。

でも、子どもって「お父さんがかわいそう~!!!」って、泣くのです・・。

 

本当は、出資者である先生が一番お礼を言ってもらえる人、なのに

私は調整をしているおかげで、みんなからたくさんのありがとう、を

いつももらいます。

 

こちらこそ、みんなが成長していく姿寄り添えていることに

感謝しています。ありがとう。

修士論文も「合格」を頂戴して、お世話になった方たちへの

報告と、これからの活動(フエ市内での貧困層のこどもたちへの学習支援)

のことを話し合うために、フエ入り。

 

一緒に活動している日本人の先生方は、ラオスに

寄られているので、私は今日から3日ほどはスタッフとの打ち合わせや

子どもたちの家の家庭訪問と自由時間。

 

またしばらく来られなくなるので、ベトナム人スタッフとの意思疎通と

業務のやり方を再確認、が今回の目的。

 

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今回は、チケットが高騰していて、ジェットスターの関空ーダナン便を利用。

 

1.関空発が早いので前泊になる

2.シート間隔が狭い

3.機内食がまずい

・・・・

 

などなど悪評がありましたが。

 

前泊はプライベートでとイタイかも?ですが、出張なのでよし。

シート間隔。これまで関空ーハノイ便も狭かったので、許容範囲。

機内食・・・、美味しくなかった・・・。

 

買ったチケットは機内食がついていて、かつ安価なものだったので

不満は言えませんが、機内食をお金払って選択する必要はない、と

思いました。

 

そして・・・、言ってはいけないが、お客の「民度」が一部強烈・・・。

窓側の席の私の隣は、ガタイのいい、若い割に超~~顔の大きなお嬢さん。

お化粧はつけまつげバサバサ、ホットパンツ、巨大な太もも・・・。

そんな子たちが、6名ほど・・・。

 

寝る・・お菓子・・・持ち込んできたCDプレイヤーでエグザイルを再生しながら、

座ったまま踊る・・・。

大声で話をしている内容はお下品で、なぜ大声かはみんなイヤホンで音楽

聞きながら話しているから・・・。

 

着陸前、ダナンの沖合、東シナ海が見えてくると、

「あー、あれ、山?でも、白いのあるし、カモメ?」と言い出し、

どう考えても飛行機の傾き角度から「海と波と漁船だろ!」と言いたくなるのを

押さえていると、前に座っていた60歳代のご夫妻が半笑いの顔で

振り返って、この傍若無人の女子たちを振り返ってました。。。

 

********

 

ダナン到着後は、列車でフエに移動。

荷物が多いので、寝台を取って(お値段約750円)。

のどかな車窓からの景色を眺めて、ワゴンで売りにくるコーヒーと

ポップコーンを買って、↓。

 

 

練乳入りの、コーヒー飲むと、

”あー、帰ってこれたー”って思うのでした。

今日は、調査サイト(ベトナム中部の丘陵地にある少数民族の村)でウロウロ、

聞き取り調査をしていたのですが、ある家の聞き取り後、おうちの脇に、

ビニールシートが張られているのに気づきました。

 

あれは?と調査協力者のDさんがお家のご主人に聞くと、

何から説明されて、Dさんキレて、

 

そんなこと!この時代に、かわいそうじゃないか、ムキー!

 

と、言いでも、ご主人は「村のきまりだ」と言っているだけわかりました。

 

後からDさんに聞くと、このビニールシートの中には、妊娠したお嬢さんが・・。

結婚前に妊娠してしまって、出産するまでお家に入れないのだそうです、ガーン。

 

なんだかな・・・です。

 

基本、こんな感じに呑気なところなんですけどねー。

 

ハンモックで寛ぐおじいちゃん、乙女のトキメキ。

 

村なので、変わらないものは中々変わらない様子です、ショボーン。

今日は、こちらでずっと一緒に活動をしているTさんのお家で、亡くなられたお父様の

法事がある、とのことで、朝からお呼ばれに行っていました。

 

法事というよりも、Tさんの旦那さんが10人兄弟なので、兄弟の同窓会状態。

こういう場所に、私はお呼ばれするのが大好き。

言葉は半分くらいしか分からないのですが、それでもみんな適度に構ってくれて。

 

何より仲良くしている人の家族や親戚の方たちを会えるのがとっても

うれしいのです。

 

立派な祭壇にお祈りさせて頂いて、↓。

 

 

 

 

御供養(余興的?)に、ca Hueと呼ばれるフエ伝統音楽の伴奏の方、歌手さん方の

演奏も楽しめて。

 

 

 

 

とっても心温まるランチタイムを過ごさせて頂きました、おねがい。

80歳代のおじいちゃんと70歳代のおばあちゃん。

彼らは、少数民族のご夫妻。1960年代の頃の生活の様子を伺うために、

早朝から昼過ぎまで、お家にお邪魔しました。

 

 

1960年代、すでにベトナムはフランスの植民地。村にもフランス側の指示で、

ベトナムで多数を占めるキン族の人が駐在していたそうです。

 

その頃の彼らの暮らしは、物々交換経済、びっくり。

陸稲やお芋などの農作物と必要なものを平野から来るキン族と交換して

いたそうです、乙女のトキメキ。

 

生活の道具は、手作りが基本。例えば、魚とりの網も自分で木の皮やつるで

糸を寄ってから、下のように編みます、乙女のトキメキ、↓。

 

 

 

実演してと、頼む前からおばあちゃんは編んでくれました、おねがい。

 

陸稲の収穫は、籠を腰につけて手で。

 

 

これも動作をやってくださったのですが、腕を大きく使って、まるで踊っているような

リズミカルな動き、乙女のトキメキ。

 

この籠、拡大するとこんな、乙女のトキメキ、↓

 

 

下の方は籐で編まれていて、上の方は竹です。色がきれいなのは、

お台所で使われている火で燻されているから、乙女のトキメキ。これを編むのは男性の仕事、ニコニコ。

 

 

広げてもらったのは、竹で編んだシート状のもの、乙女のトキメキ。

同時、彼らは、高床式のおうちに住んでいて、おうちの中央には、囲炉裏がありました。

囲炉裏の火の上には3段の段が組んであって、このシートはそれぞれの段の

区切りに使われていたそうです、びっくり。これを編むのも、男性の仕事、ニコニコ。

 

籠もこのシートも、4日間くらいで編めるそうです、びっくり。

 

今は、お台所は別棟、乙女のトキメキ。

 

 

 

見にくいですかね・・。上右の写真は、お台所の天井から下がっている

トウモロコシ、乙女のトキメキ。乾燥させて主にニワトリなど家禽のエサになります。

 

裏庭のバナナの小道を抜けると陸稲が広がっていました、おねがい。

今年は、トウモロコシの後、陸稲を植えた様子です。

 

 

 

色々、教えて頂いた上に、お庭で採れたサツマイモを蒸かしてもらって、照れ。

 

調査協力者のDさんと満腹になり、余ったお芋は、持って帰ってと言われ、

お言葉に甘えたのでした、乙女のトキメキ。

 

本当にありがとうございました、おねがい。