昨日から雨です。

長袖にパーカーでも寒い。なので、ランチはお鍋↓。

 

 

精進料理屋さんのお鍋なのでお野菜たっぷり。

温まりました、ニコニコ

 

 

 

 

 

 

現在、学習支援教室は、

 

・小学校4年生向け:週2回(算数1回・ベトナム語1回)

・高校1年生向け:週2回(理数系1回・文系1回)

 

のクラスを開いています。なので、チューターと呼んでいる

学習支援担当者は4名。その現場マネージメントをお願いしているのが

スタッフのTienさんで、合計5名のベトナム人と活動を共にしています。

 

チューターは、フエ市内の貧困地区の1つであるPhuHau(フーハウ)地区で

借りている教室に直接行って指導をするので、顔を合わせるのは、

毎月1回。↓、こんな感じで、カフェで1カ月あったことを振り返ります。

 

 

この会議の様子は、Tienさんから日本にいる私にレポートとして

上げられてきます。

レポートには、私や日本人の先生がコメントをつけて返します。

 

今回は、私がフエに居られたので参加して、話し合いに参加しました。

私たちのクラスのモットーは、「自分で考える」。

 

チューターたちが一番、児童や生徒のことを分かっているので、

そこから上がってくる意見を尊重することを基本としています。

 

現場にいると児童や生徒との距離が近いので、煮詰まってしまう時の

「ガス抜き係り」が私たち日本人なのかな?という感じにまで、

運営の仕方も落ち着いてきました、ニコニコ。

 

継続とは、やはり力を持つものです、ニコニコ。

ちょっとバタバタしていました。昨日から、日本の先生とも合流。

 

*****

2日前は、バイン・チュンと呼ばれるもち米をバナナの葉でくるんで

蒸したものを作って市場に卸している農家さんを訪問。

 

学習支援教室のナショナル・スタッフであるTienさん行きつけの

農家さん。

 

この農家さんは、エコツーリズムサイトにもなっていて、

バイン・チュン作りの体験も出来ます。

 

(写真が↑バイン・チュン。中には、ブタの脂が入っているものもあれば、

緑豆をつぶしたものが入っているものもあります。

ベトナム全土にあり、南部では、中にバナナが入っているものもあります。

バナナの葉を剥くと、写真の右のような感じ。

そのままでも食べますし、油で揚げたりもします。)

 

この家のおじいちゃんは、90歳。

いつ行っても、「もっと楽しく話していきない」と言って歓迎してくださいます。

自分は加わるわけでもなく、お家の奥にいたり、盆栽の枝を

手入れしたりされているのですが。

 

おじいちゃんは、1975年に終わったベトナム戦争で、1回目の結婚の

奥さんと子供を一度に全員失うという経験をしています。

 

現在同居しているのは、2回目に築いた家庭で生まれた息子さんの

お嫁さんとその子供たち。

 

息子さんはね、39歳の若さで、病気で亡くなりました。

お嫁さんがバイン・チュンを作って家計を支えています。

 

いつ行っても、このお嫁さんが器量よしで、やつれていなくて、

子どもたちもみんな素直で、かわいくて。

 

((左が)バイン・チュン農家のCさんとうちのスタッフのTienさん。

Cさんが手を置いているのは、パパイヤの木。

ベトナムのお家には色々な果物の木が植えられていて、

お願いして売ってもらったり、ただで頂戴したりします。)

 

きっと、おじいさんもお嫁さんも、Tienさんのことが大好きのようで

いろんな話を聞かせてくれます。

 

歴史の本には決して載らない、人々の暮らしや思いの記録。

残していきたいなぁ・・と思っています、ニコニコ。

 

 

(↑もち米の袋の横にいた子猫。がんばって、お米の見張り?)

私たちが、6年間教えてきた子供たち。その進学先は、フエ市内でも3番目に

難しい高校になった子もいます。

 

一人の女子生徒の家で、

 

「お金持ちの家の子が多くて仲良く出来ない。辞めたい」

 

と、言っていたことを母親から聞かされました。

 

一人の男の子の家では、

 

「みんな電動自転車で通学して来る。自転車で通うのが遠い。

でも、(奨学金を得てベトナム軍の大学で勉強している)お兄さんのように

なる」

 

と、力強く言ってくれました。

 

*********

 

そんな話を聞いていると、思わず自分と重ねてしまって、色々なことを

話しました。

 

私は、教育大学の附属に幼稚園から高校まで通っていたので、

近所のお友達が皆無。

 

小学校の時は、ランリュックに印刷されている校章が地元の公立のとは

違っているので、ねちねち色々言って来る子に遭遇したりしました。

 

黙って、ひたすら無視する。

こんなことは、私の人生に何も関係ない。

 

・・・、なぜか、そんなことを考えて、家まで帰っていたことを思い出し、

話をしました。

 

「周りにいる子と何かが違う」

 

そういうことで、子どもは色々なことを考えます。

経済的なこと、親の仕事、家族の構成、家族や親族との関係性・・・・、

それはもう大人が思う以上に子どもたちが色々思っているものです。

 

ただいつも思うのは、どちらか一方でいいので親が、親が無理なら親代わりの兄弟や

姉妹や祖父母が、しっかりとした愛情を注いでくれているのことを家庭訪問で

見る時、

 

あー、この子は大丈夫だ、

 

と思うのです、ニコニコ。

 

学習支援教室は、1期生は、小学校4年生から教えて、今年で高校1年生。

2期生は、昨年10月指導開始で、小学校4年生。

 

1期生でフエで3番目に難しい高校に進学した女の子の親から、

彼女の弟を2期生のクラスに通わせて欲しい、と頼まれました。

 

この家は、お母さんは市場の外でお菓子の売っていて、お父さんはペンキ塗り。

二人っ子政策のベトナムで4名の子ども・・。

(※厳密には公務員にペナルティのある二人っ子政策。貧困層にも

啓蒙が行われていました。でも、急速な高齢化の傾向が見えてきたので、

なくなる?なくなる方向です。)

 

もう1軒は、1期生の教室開始時、家を使わせてもらっていて生徒の家の

お姉さんの娘。(私の隣に立ってる女の子)

 

 

(つば付きのヘルメットを被っているのが)1期生の生徒のお姉さんは、

教室が始まった当時、私たちのバイクを見張ってくれたりした人。

 

「先生(私のこと)が、来ているっていうから追いかけきたんです。

そうしたら、『●●ちゃんの家の前で写真を撮っていた』って教えて

くれる人がいて。●●ちゃんの家に行ったら、夕方から学校に行くって

言っていたって聞いて・・。」

 

彼女の必死さが伝わってきました。

 

「旦那はね、ラオスに木材切り出しや、洗車の仕事に行っていて。

私も市場の仕事があって。なんとか、この子を預かってください。」

 

1期生の時のように毎日クラスをやっていないこと、

字が読めない、書けない子もいるクラスであることをどちらの保護者にも

了承してもらって、受け入れることにしました。

 

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「4年生になっても字が読めない、書けない」

 

私は、学校のせいだと思っています。

 

でも、学校の言い分は、「家庭が悪い、家庭でフォロー出来ていない」という

ものでした。

 

この実態を高校生クラスの生徒に話すと

「そんなの学校のせい! なんで進級できるの??」

っと、目を丸くしていました。

 

ベトナムでは小学校から留年があります。

今の高校生くらいまでは、色々な要因から読み書きが出来て小学校卒業だったの

だと思います。

しかし、今は、「緩やかに成績をつけて、卒業させる」のでしょう。

 

基本、外部者である私たちは、「体制側」とは戦わないのです。

出来ることをやるよりありません。