よっこです。
自主避難をしている人にお話を聞くことを始めています。
今回答えてくれたのは、sora11063(あや)さんです。
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sora11063(あや)さん (私31歳、夫35歳、 長男:小2、次女:2歳)
(震災当時:埼玉県上尾市 → 現在:広島県広島市)
(避難 1 回目)
01.自主避難を決めた理由はなんですか?
子供への放射能の影響を懸念して避難を決めた。
長女を亡くしていることもあり、二度とわが子を亡くしたくない、
絶対に守りたい、 という気持ちが強かった。
02.避難を考え始めた時期はいつですか?
2011年3月末
03.避難を実際にした時期はいつでしたか?
2011年6月末
04.避難先を選んだ理由を教えてください。
当初の候補は、北海道、岐阜県高山市(私の両親の故郷)、愛知県江南市(夫の実家)、
大阪、兵庫、岡山、広島、が候補にあがっていましたが、
福井のもんじゅからもできるだけ離れたい考えがあり、候補の中で一番遠い広島に決めた。
北海道は風向きによっては福島からの風が道内に広がることと、
寒いのが苦手だから、という理由で却下。
夫は退職し再就職となるため、雇用のことも考えると、
広島の市街地のほうが仕事が見つかりそうかな、ということも理由の一つ。
05.家族構成と避難した家族の人数について教えてください。
(避難当時)夫:34歳、私:31歳、長男:小1、次女:1歳。
長女は11年前に医療事故により他界。
06.避難前と、避難後の住居形態は?(賃貸・持家・その他等)
また、避難後の住居選びはどのように決めましたか?
避避難前⇒賃貸住宅
避難後 ⇒賃貸住宅
広島は知人も親戚もおらず、
10年以上前に観光で一度訪れただけの場所だったため
なにもかもがわからない状態だったが部屋は内覧せずに即決。
仲介業者の方が避難であることに深い理解を示してくれてとてもよくして頂き、
広島での居住経験がないことを考慮して住みやすい環境を探してくださったおかげで
とてもよい部屋が見つかりとても感謝しています。
07.転職等、仕事についての状況はどうですか?
夫:都内でSEをしていたが2011年6月末退職し家族で避難。
避難前から再就職に向けて就活はしていたが中々決まらず、2011年11月に再就職。
私:避難前は短期アルバイトを時々やっていたが2011年6月末に終了。
2011年8月末より障害者福祉支援施設にて派遣社員として経理業務を担当。
2012年4月より同職場にて契約社員にて勤務中。
08.避難先への引っ越しの際、汚染を気にして捨てた持ち物はありますか?
じゅうたん。
09.避難するための総額はいくらくらいかかりましたか?
90万強。
事情があり貯蓄はなかったため銀行より全額借り入れ。
10.避難に対しての周囲の反応はどんなかんじですか?
夫の両親は理解はしてくれていたが賛成でも反対でもない感じだった。
私の父も同じく賛成でも反対でもなく、自由にしなさい、という感じだったが
母が激怒し猛反対。
何度も説明したが理解を得られず音信不通状態に。
母に、
「もし何も無ければいいが、万が一にでも放射能が原因で子供たちが数年後病気になったら責任取れるのか?その責任を取るのは親である私たちであって、祖父母のあなたたちではない。安易に自分の考えを他人に押し付けるな。」
と最後に伝えて親子の縁を切る覚悟で避難を決行。
ひどいことを言っているのはわかっていたけれど、
子供を守るために今こそ私たち親が盾になる時。と考えて、意思を貫き避難を決めた。
友人たちは、賛成している人・動きたいけどご主人との意見の相違で動けない人・避難を愚行だと非難した人、など様々だった。
11.避難先の学校や園選びはどのように決めましたか?
学校も保育園も、あまり考えずに決めてしまったけれど
結果としてとても理解のある学校、園に恵まれており感謝しています。
12.避難後の生活について教えてください。
避難後すぐに夫の仕事が決まらなかったことと、
貯蓄が無い状態での引越しだったこともあり、
避難後半年ほどは極貧状態でリアル1ヶ月1万円生活・・・。
再就職後も以前の給与に比べ15万以上少ないため決して余裕がある生活ではないが、
関東にいたころはとにかくストレスだらけだったからその環境から離れられたことがとにかく嬉しかった。
野菜などの食品が、関東だとどうしても東日本産のものばかりで
ほとんど購入したくないものばかりでストレスで仕方なかった。
水道水も使わずペットボトルのみを使用し購入も大変だったし、
子供も外で遊ぶのは1日1時間と時間を決めて遊ばせていたので
そういう心配が激減したことは本当に気持ちが楽になった。
避難後は保育園の給食問題に取り組み、園長と何度も話をさせて頂いて
以前は東日本産の野菜も使用していたが
今は野菜はすべて西日本産、米は広島、肉・魚は海外産にしてもらえることができ、
牛乳ときのこをNGにしている以外は他の園児と同じように過ごさせてもらっていま
す。
小学生の息子も、学校では牛乳ときのこをNGにて学校側に理解を頂いています。
私の勤務先では食材の販売も行っているため
現在はこちらの改善を働きかけているところです。
震災によってまさか自分が放射能から逃げるために引越しをすることになるなんて
夢にも思っていなかったし、
今でも収束していないし悲しいことだらけだけど、
今まで気にしていなかったことや見えていなかったことが、
今回のことでたくさん知ることができた。
当たり前なことなど一つもないのだということも改めて感じ、
いろんなことに感謝を できるようになった。
一緒に移住を決断してくれた夫、地域の人や学校の先生たち、
同じように避難してきている家族との出会い、
外を走りまわれる環境、地元食材のありがたみ、、、
たくさんのありがとうが広島につまっています。
広島にきて、本当によかったと思っています。
・・・最後に、震災後の体調不良についてコメントをいただきました。
夫)下痢・湿疹
私)不整脈、不正出血、月経周期異常、胸痛、激しい頭痛、めまい、動悸、湿疹。
(4月、5月は30分以上外出すると必ず激しい頭痛。自宅へ戻りしばらくすると治る)
パニック発作。
長男、次女)下痢、鼻血
レントゲン検査・血液検査等を2011年秋に実施していますが全員異常なしです。
sora11063(あや) さん、ありがとうございましたm_ _m
( 2012年4月時点のものです )
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