精神科の専門家は、どう考えるのか? | 頭痛 あれこれ

頭痛 あれこれ

 「慢性頭痛」は私達の日常生活を送る際の問題点に対する”危険信号”です。
 このなかで「片頭痛」は、どのようにして引き起こされるのでしょうか。
 慢性頭痛改善は、「姿勢」と「食生活」の改善がすべてであり、「健康と美容」のための第一歩です。

 「うつ病はこころの風邪か?」


 うつ病は普通に考えられているよりも一般的な病気であり、10人に1人が生涯の中で一度はうつ病に罹患します。そのため、うつ病は“心の風邪”といわれることがあります。 確かに多くの人がその病気にかかる可能性があるという意味ではその通りですが、うつ病の症状は風邪とは比較にならない程辛く、生活への影響は甚大です。世界保健機構らの調査において、うつ病はその罹病率の高さ、罹病期間の長さ、症状の重さなどから、生活の質を落とす原因の第1位にランクされているほどです。何といっても“風邪は万病の元”なのです。日本では年間の自殺者がここ数年連続して3万人を超えており、社会問題になっています。自殺の原因のすべてがうつ病によるものとはいえませんが、調査によると自殺者の6割以上にうつ症状があったという結果が出ています。毎年の交通事故による死亡者数が1万人前後で推移していることを考えても、うつ病はもっと注目されるべき疾患でしょう。
 うつ病の難しさは、もう一つの代表的な精神疾患である統合失調症とは異なり、その症状の“わかり易さ”にあります。うつ病の症状は“やる気が出ない”とか“食欲が落ちる”“眠れない”“体がだるい”“寝起きがすっきりしない”“頭が重い”といった、誰でも当たり前に経験するものばかりです。つまりはその症状が誰にでも体験があるために、うつ病になっているその人自身や周囲の人たちもそれが病気の症状とは思わず治療に結びつかないため、病気である期間が長くなり、結果的に多くのものが失われてしまいます。うつ病では、身体的な検査においては異状が見つからないために、“気のせいだ”“怠け病だ”といわれ、“自分さえしっかりすれば”“こんなこともできないなんて”と自分を責めることで、さらに気分を落ち込ませるという悪循環に陥っていることが少なくありません。
 しかし、うつ病は治療によって回復する病気です。うつ病には抗うつ薬というその名前の通りの特効薬があります。ここ数年の薬物療法の進歩は著しく、今では副作用の心配もほとんど無くうつ病を治療することが可能となっています。ただ残念なことに近年の調査によると、うつ病と考えられる人のうち、抗うつ薬による適切な治療を受けているのは5%に満たないという結果が示されています。繰り返しになりますが、うつ病はそれほどまでに見落とされやすい病気なのです。次回からはうつ病の具体的な症状や、治療、周囲の人が注意すべき点などについてお話ししていきます。


 「こんな症状があればうつ病に注意」


  うつ病の最古の記述は紀元前10世紀にさかのぼります。紀元前5世紀にヒポクラテスはうつ病の原因を黒胆汁(メランコリア)にあると考え、それはうつ病の名称として現在でも用いられています。特筆すべきはその時代において、既にうつ病の原因は身体にあると考えられていたということでしょう。
 うつ病の症状は“抑うつ気分”“精神運動抑制”“不安焦燥感”“身体症状”にまとめられます。“抑うつ気分”とは憂うつで悲しく、落ち込んだ気分をいいます。自信を失い、過去の過失ばかりが目に付き、自責的になります。何事にも興味がわかず、以前には楽しみであったことでも煩わしく感じるようになります。時には経済的に破綻していると信じ込んだり、回復不能な病気にかかっていると思い込み、頑固に身体症状を訴えることがあります。また、物事が上手く運ばない原因を全て自分の責任と考え、悩むこともあります。“精神運動抑制”とは思考活動が緩慢になることをいいます。何事も思い浮かばず、決断ができなくなり、集中力や判断力が低下するため、失敗が多くなり、そのことがさらに本人を苦しめます。知的活動も衰えるため、認知症(痴呆)と間違えられることすらあります。“不安焦燥感“のため落ち着きが無くなり、いらつくことも多くなります。この焦燥感は時には激しいもので、自殺念慮に結びつくこともあります。“身体症状”として、全身倦怠感、頭重感、肩こり、胸部圧迫感、手足のしびれや冷感、発汗、口渇や便秘など、多彩な自律神経の失調症状を認めます。食欲は低下し、食事が美味しいという感覚が無くなり、また性欲も低下します。不眠はほとんどの症例に認められ、寝付きが悪いだけでなく、早くから目が覚め、そのまま眠れずに朝を迎えるようになります。
 症状の軽重はありますが、以上のような症状が2週間以上続きます。このようにうつ病は大変辛いものです。たいていの場合はこれらの症状を自覚しても、身体的検査では異状が見つからないため、病気によるものとは考えず、文字どおり鬱々(うつうつ)とした日々を過ごしてしまいます。時には症状が長期に持続し、周囲の人だけでなく自分自身も「元気のないのは性格だから仕方がない」とあきらめて生活している場合が少なくありません。(こういった状態が2年以上続いた場合、“気分変調症”といいますが、本質的にうつ病と同じものです。)
 このようにうつ病は個人的にも社会的にも重大な問題です。しかしうつ病は治る病気であり、確立された治療法があります。次回はうつ病の原因と治療についてお話します。


 「抗うつ薬の効果と注意点」


  前回ヒポクラテスがうつ病の原因を身体にあると考えていたことは特筆すべきことだと述べました。さすがに原因が黒胆汁(メランコリア)ということではありませんが、うつ病は身体の臓器のひとつである脳の問題です。心の動きはとても複雑であり、脳内での化学物質の伝達や電気的興奮にて語れるものではなく、また語るべきものではありません。しかしうつ病は一つの疾患であり、現在ではその原因は脳内での神経伝達の機能異状によるものということがわかっています。
 機能異状の要因となるものがストレスと体質です。強いストレスの持続は神経を疲弊させ機能低下を引き起こします。それが短期間では回復しないレベルまで至ったものがうつ病といえます。ストレスへの耐性や、耐えられるストレスの種類、疲労からの回復のスピードには個人差があり、同じ状況でもうつ病にかかる人と健康を保つ人がいる事は、この個人差(体質)によります。
 それではうつ病を治すためは何が必要でしょう。上記によれば回復に必要なものは疲弊した神経の休息と、神経伝達の機能異状の是正という結論に達します。そのためには心身の休養と、薬物療法が必要となります。うつ病を病気と捉える事が困難であると同様に、心の病気には薬を飲んでも意味がないと考える人は多いものですが、うつ病による神経伝達の異状の是正に薬物は非常に効果が高いのです。抗うつ薬は神経伝達物質の働きを整える作用により、うつ症状を改善させ、大半のうつ病に効果を示します。以前は眠気や口渇、便秘等の副作用が問題となりましたが、ここ数年で副作用の少ない抗うつ薬がいくつも開発され、多くの方の治療に用いられています。
 薬物療法には注意点がいくつかあります。抗うつ薬は飲むとすぐに効果が現れるものではなく、効果発現までに2週間程度を必要とします。また薬によって症状が改善しても、元々の機能異状は続いている事が多いため、半年程度は内服を継続する必要があります。またうつ病は治りやすい病気ですが、再発しやすい病気でもあります。統計によると約半数に再発を認め、再発は繰り返す傾向にあります。再発を防ぐためには薬物の継続的な服用が有効です。よく「精神科の薬は一度飲むとやめられない」といわれますが、うつ病に限らず精神科領域では健康を維持するために、予防的な内服の継続が必要な場合が多いため、このような誤解が生じていると思われます。また抗うつ薬に限りませんが他の薬剤との併用に注意を要するものもあり、他の医療機関にかかる時には必ず薬剤を服用していることを伝えましょう。


「パニック障害」


 Aさんは、夜くつろいでいた時に突然、心臓がドキドキと脈打ち、思うように呼吸ができなくなりました。汗が流れ、めまいやしびれも現れ、死んでしまいそうな恐怖感に襲われました。やっとの思いで救急車を呼び、病院でいろいろと検査を終えた後、医師に呼ばれました。その頃には症状は治まっていましたが、「心臓の病気だろうか、重い病気だったらどうしよう」とAさんは不安でした。そして医師の診断が下されました。「特に異常は見つかりませんでした。帰っても良いですよ。・・・」 しかし、Aさんはその日から、軽い動悸を伴う不安の発作が毎日のように見られるようになりました。発作が心配で一人で外出も出来ず、眠れない日が続いています。この頃はだんだんと気分が憂うつになってきています。
 さてAさんに何が起きたのでしょう。このような身体的な原因がないにも拘らず動悸やめまいなど様々な自律神経の失調症状を伴う不安発作を、パニック発作と呼びます。そして繰り返されるパニック発作や発作が起きるかもしれないという不安の為に生活に支障を来している状態は、パニック障害と診断されます。この疾患は人口の2~3%に認められます。パニック発作は辛いものですが、通常は30分程度で消失し、それがどんなに激しくても、決して死んでしまったり、後遺症が残ったりする事はありません。しかしこの疾患のさらに厄介な所は、発作への不安が強く、外出ができなくなるなどで、生活から楽しみが失われることです。そのためこの疾患はしばしばうつ病を合併します。
 この病気の治療は発作を抑えて、安心して生活できるようになる事が第一であり、そのため薬物療法が行われます。以前はほとんどの症例に抗不安薬が使われていました。しかし、抗不安薬は眠気を生じ易く、依存性も比較的高いなどの問題があり、そのため最近では抗うつ薬の一種であるSSRIも用いられています。SSRIはパニック発作をおさえると同時に不安の解消も図り、気分も改善させるため、抗不安薬にとって代わろうとしています。 しかしSSRIは効果の発現に時間がかかるという欠点があり、また吐き気などの消化器系の副作用がでることがあります。そのため通常は抗不安薬とSSRIを症例に合わせて使い分けたり、組み合わせたりして、治療を行っています。薬を飲むことに抵抗のある方は多いのですが、薬物療法の効果は非常に高く、薬を継続して服用する事により発作はほとんどおさえる事が可能です。パニック発作が消失しても、外出などを尻込みしてしまう事もありますが、そんな時には精神療法や行動療法を併用して治療を行います。


「引っ込み思案は治療が必要か?」


 多くの人の前で話しをすることは誰でも緊張するものです。まして、知らない人達の中でとなればなおさらでしょう。それでも生活の中ではそのような状況が避けられない場合があります。そのような時に緊張や不安が強すぎると、動悸や呼吸困難などのパニック発作を生じたり、そうならないようにその状況を避け続けた場合、昇進の機会を逃したり、重要な人間関係にほころびを生じてしまうことが繰り返されます。このように人前で行動が出来ない為に毎日の生活習慣や職業(学業)上の機能、または社会的活動や友人関係に支障を来している状態を社会不安障害と呼びます。
 社会不安障害はいままで、「引っ込み思案」「恥ずかしがりや」などの性格の問題と捉えられ、本人がほとんど医療機関を受診する事がなく、また医療者側も個性の問題として考え治療の必要性について疑問視していたために、医療の対象として重要視されてきませんでした。しかし、社会不安障害は、有病率が3~13%と従来考えられていたよりも高いこと、10歳代半ばで発症し慢性的経過をたどるため生活に与える影響が大きいこと、うつ病やパニック症候群、またアルコール依存症などの他の精神科的問題を併発する割合が非常に高いことから、決して放置できる問題では無く、また近年になり副作用が少なく有効な治療薬が現れたことから、注目を集めています。社会不安障害の治療は本人の持つ不安を軽減し、社会的な回避行動を減らすことが目標となります。薬物療法は前回お話ししたパニック症候群と同様に、抗不安薬や抗うつ薬の一種であるSSRIを組み合わせた治療が行われます。薬物の効果発現までの期間はうつ病やパニック症候群と比較して長期間を要し、また全体の治療期間も長くなるのが普通です。そのため精神療法や行動療法が同時進行で併用されます。
 さてドクターリレーの私の番では、うつ病、パニック症候群、社会不安障害と、治療薬として抗うつ薬が用いられる病態についてお話ししてきました。これらに共通していることは、その病態が社会生活上の深刻な問題を引き起こしているにも拘らず、病気として認知されず、治療されないまま放置されている例が非常に多いことです。またこれらの病態が最近注目されているのは、副作用が少なく長期の連用が可能な薬剤が開発されたという治療的な背景もあると思われます。精神科受診への抵抗は現在でもまだまだ大きいと考えられますが、治療は日々進歩しています。一人で悩まずにまずはご相談下さい。

 

 うつ病は風邪のように"治る"ものではない
「治る」が意味する3つのかたち


 「うつは心の風邪」とも呼ばれます。これは国や製薬会社がうつ病への誤解を解くため、2000年頃から啓発キャンペーンを繰り返してきた結果です。「特殊な病気」という誤解は解けましたが、一方で「風邪のように治せる」と安易に考える人も増えてしまいました。 うつ病は本当に「治る」のか。国際医療福祉大学の原富英教授が解説します――。


「治る」の3つのモデル=3つの治るとは


うつ(病)にかかったのではないかと心配して、私のもとを訪れる患者さんは、ほとんど例外なく、こう聞いてきます。「先生、治りますか?」。二分法的思考でお答えすれば「うつ病は治りません」となります。誤解しないでください。要は「治る」の意味が、社会一般に理解されている「治る」と「うつ病が治る」では、大きく異なるからです。


そんな時私は次のように答えることにしています


「病気は数万種類もありますが、治り方は基本的に3種類しかないんです。1つ目は、風邪などのモデル。自然にもしくは基本的な治療で原状復帰できるもので、いわゆる「治る」ものです。

 2つ目は胃がんなどの摘出モデル。転移などを除けば、外科手術でとってしまえば治ります。たとえば 胃を全摘してしまえば、胃がんは絶対に再発しません。

 最後の3つ目は、糖尿病・高血圧などのお付き合いモデル。医学用語を使えば『慢性疾患』のモデルです。節制を続ければ、自覚的にも医学的予後(平均寿命と言い換えてもいいでしょう)も健康人とほぼ変わらなくやっていけます」

 こうした説明をしたうえで、「うつは、第3のモデルに近いんですね。症状が軽くなってきても、用心しないと再発しやすい。少なくとも数年は付き合っていく必要があるんですよ……」と続けます。

 ほとんどの患者さんやその家族は、第1のモデルを頭においているので、最初は困ったような表情を浮かべたり、きょとんとされたりします。

 
「寛解」と「治癒」


 医学的な言葉を用いると、うつ病は、症状がなくなり治療をする必要が無くなった状態でも「寛解」という用語が用いられます。「寛解」とは、一時的にまたは継続的に症状が軽減~消失すること、わかりやすく言えば「症状が落ち着いて安定した状態」といえます。 精神疾患や白血病などの再発の危険のある病気治療に使用される概念です。

 症状がほぼ完全に消失している状態を完全寛解、一部症状を残しているが生活(生命)などの差し障らない状態を部分(不完全)寛解と呼ぶこともあります。いずれにしろ、私は「このまま回復する可能性もあるし、再発する可能性もあるので、注意しましょう」とアドバイスします。前述の3のモデルに近い概念ですね。対比される用語に「治癒」(完全に治った状態)があります。これは1もしくは2のモデルに近いでしょう。
 

「うつ」は「心の風邪」キャンペーンの功罪

 

 厚労省は、2013年、それまでの4大疾病に「精神疾患」を加え5大疾病としました。また平成10年当時、自殺者が3万人を超え交通事故の死者数の約5倍という高水準になったことから、その原因の一つである精神疾患(主にうつ病)対策として、「うつは心の風邪」というキャンペーンを前面に押し出しました。

 このキャンペーンには評価できる点もあります。うつは「誰でもかかること」「適切な治療がなされれば、ほどなく回復すること」「気軽に医療機関を受診しやすくなったこと」などの意義のある啓蒙がなされ、それまでの偏見や恐怖心が払拭されたように思います。

 その一方で、このキャッチコピーには、重大な誤解を生じる危険があります。

 「風邪」と言われて皆さんはどうイメージされますか。

 「1年に数回はかかる」「ちょっと気を付けていれば1週間ほどで治る」「あまり重大な後遺症などはない」「自分なりの治し方がある(いい意味での民間・代価療法)」「わざわざ医者のところにいく必要などない」などなど。どうしても甘く捉えがちがちになります。

 このキャッチコピーは、「とにかく地獄だよ。地獄。風邪の比じゃない」と声を発する患者さんの苦しみや、「どんなに早くたって回復に数カ月はかかるよ」という医学的事実、治療の甲斐なく死へ向かって行った患者さんを悼む主治医らの「いたたまれなさ」などを思うと、とてもうなずける言葉ではありません。

 また、このキャンペーンの結果、「うつは治る、うつを治す」といったタイトルの本も増えました。私からみると、これはセンセーショナルなタイトルです。多くのうつは風邪のように「治癒」するものではないからです。

 実際私の臨床経験からは、かなりの数の患者さんは、1~2度は再発するようです。典型的なケースを1つだけ挙げておきます。

 58歳の男性です。高校卒業後、地元の電力会社に就職。几帳面で真面目な仕事ぶりで、3年前に中間管理職に昇進。同時に激務の苦情処理係という部署へ異動になりました。1年ほど前より次第に抑うつ気分、判断力低下・不眠などの症状が出ていたようですが、無理やり出勤を続けたところ、3カ月前の朝に全く起床できなくなり、来院。「うつ病」の診断で、1カ月の休職となりました。

 自宅療養に入ってから約1週間すると少し体調が回復したため頑張らねばと、主治医の制止を振り切って出勤。ところが出勤から5日後に再び起床できなくなってしまいます。 その結果家族や同僚は期待と裏腹の失意を倍加させてしまいました。結局このようなことを2回繰り返し、慢性化。最終的には自己退職となってしまいました。

 このように次第に軽快するにつれ、原因を探し始め、「心がけが悪かった」「気合(根性)が入っていなかった」「あの上司さえいなければ……」などのストーリーを作ってしまうのです。「今度は失敗しないぞ」と無理やり自己を鼓舞しても、再発は防げません。やっと2~3度目の再発後に、うつとはお付き合いしていくものだと身に染み、ストレス対処法や休養の取り方などに真剣に取り組む方が少なくありません。

 しかし何度再発しても、心の風邪論や気合論、環境悪論の一辺倒で解釈される方もいます。こうした患者さんには、主治医としては頭を抱えつつ、「風邪もこじらしゃ肺炎になる」と、つぶやくのです。


元に戻らず新しい自分になる


 私の尊敬する中井久夫医師(元神戸大学医学部精神科 現名誉教授)は「元に戻りますか(治りますか)?」の質問に「こんな病気になった元の自分に戻ってどうするの?」と投げかけたそうです。深い含蓄のある言葉ですね。

 そうこうしているうちに、「うつは治りますか」という質問は消え、新しい自分を見出し始めて、やっと治癒に近い「お付き合いモデル」になじんだ寛解像があらわれます。こうなると「もう大丈夫なようだね」という温かく穏やかな感覚が主治医と患者さんの間に流れ始めるのです。

 これまで説明してきたように「治る」の意味を理解し対処することが、うつ病の治療においては、とても大切なことなのです。

 

精神科のクスリは本当に「心」に効くのか
投薬の狙いは「脳の休息のため」


 うつ病は風邪のように"治る"ものではない


 はじめて精神科を受診した患者さんは、投薬の話になると一様に不安な表情を浮かべるといいます。本当に薬は必要なのでしょうか。国際医療福祉大学の原富英教授は、「脳の神経の働きの不調は、あせりという言葉で表現される」としたうえで、「とりあえずの薬物療法で、脳にゆっくり休んでもらうことが重要」と説明します――。


精神科のお薬に対する患者さんの心配


 精神科の治療は、一般に薬物療法、精神(心理)療法、環境療法の3つの柱を組み合わせつつ進められます。当然私も基本的にお薬を使います。しかし私は「心に効く薬」とか、反対に「薬に頼らずにうつを治す!」などといったタイトルの本を目にすると困った気分になります。


 診断がついて、治療に移る時、お薬のことに触れ始めると、患者さんはほぼ一様に心配気な表情をされます。「ボケないでしょうか?」、「人が変わるのではないでしょうか?」、「一度眠ると当分起きないのではないでしょうか?」などの心配が多いようです。

 私が思うに、心の問題によって生じている症状が、薬という化学物質で解決するかもしれないということに対する驚きや、人格まで変わるのではないかという警戒などがその心配の中心なのではないでしょうか。もしここがクリアできなければ、われわれは、薬物療法なしで、患者さんと回復を目指して、困難な長い旅に出ることになります。

 
お薬は体のどこに効いているか?


 さて胃の薬は胃という器官に、鎮痛剤は膝痛に対しては膝関節という器官に到達して効果を発揮します。その点ではこのような病気と薬の関係はシンプルでとても理解しやすいと言えます。では心(こころ)に効く薬はどこに(何という器官に)到達して働いているのでしょうか? 心に効くと喧伝する精神科の薬といえども化学物質ですから、身体のどこかでその効果を発揮しているはずです。

 こう問いかけるのは、われわれの体の中には、心という臓器・器官は存在しないからです。

 

「心」と「体」を巡る心脳問題


 古代ギリシャ時代より心と体(脳)問題は、哲学・文学をふくめた当代の俊秀たちを魅了し、また苦しめたテーマでした。今でもはっきりとした答えが出たとは言えないのですが、大ざっぱには「心≫脳」「心≒脳」「心<脳」と考えてもいいかもしれません。つまり、心と脳はほとんど別物である。心とは脳のことである。脳の働きの一部が心である――という考えです。ここでは心脳問題には、これ以上深入りしません。


 さて先ほどの答えは何でしょうか?

 

 答えは、――「脳」に効いている(と考える)――です。

 実際に薬物を投与する立場になると、脳の存在を無視して治療は始まりません。心というあいまいなものに効くといったスタンスでは、患者さんを混乱させ不安にさせるでしょう。この「脳」に効くお薬があなたの参った「心」を回復させるという理解しにくい関係を、何とか理解してもらうことが薬物療法の第一歩になります。

 そこで私は、「あなたはさまざまな原因で、脳の神経の働きが不調になっていると考えられます。この薬はその不調を正常化する働きがあります。とりあえず疲れた脳を回復させましょう」

という「心≒脳」立場から説明をスタートし、処方を開始します。

 この時は、「心」と言う言葉は棚上げにしておきます。

 
「とりあえずの薬物療法」を開始する


 精神科に相談にこられる患者さんの心理的・社会的問題は複雑に入りこみ過ぎており、最初から短期間で解決するのは不可能に近いことが大部分を占めます。またほとんどの患者さんは激しい「あせり」に巻き込まれています。

 そこで私は長い臨床の経験から「脳の神経の働きの不調は、あせりという言葉で表現される」と確信するに至り、何とかゆとりへととりあえずお薬をすすめるのです。これを私は自称「とりあえずの薬物療法(臨床)」と呼んでいます。


「ゆとり」を目指してはじめる


 この「とりあえずの薬物療法」は、効果がなければいつでも変更できる、そう深刻に考えなくていい、心理的に患者さんを追い詰めることが少ない、などの利点があります。また患者さんがこの説明を理解し気軽に薬になじむことができれば、お薬が少量で済む印象があります。

 私の経験からも、薬でゆっくり休んだ脳は、自身の問題点やその解決法を再発見する力を(時には目覚ましいほどに早く)回復させるようです。言い換えれば、薬は患者さんの自然治癒力を目覚めさせる・回復させる・発揮させるための道具として使用するとも言えるでしょう。

 このような「ゆとり」を目指してはじめる「とりあえずの薬物療法」は、十分に意味のある治療だと自負しています。

 

"持論"を押し付けてくる精神科医は要注意


 面談が治療の有力ツールである精神科では、患者さんと主治医の関係は他の科にもまして重要です。ただ、なかには自らの考えを患者に押し付ける「ちょっと困った精神科医」もいます。信頼できる精神科医を見分けるにはどうすればいいのでしょうか。国際医療福祉大学の原富英教授が解説します――。


■ちょっと困った精神科医たち


 どの病気でも患者さんと主治医の関係はとても重要です。とくに精神科では、面談が治療の有力ツールであるため、両者の関係はなおさら重要です。それでは信頼できる「精神科医」を見つけるにはどうすればいいのでしょうか。

 精神医学の教科書には「人間を3つの要素の複合体とみよ」と書いてあります。それは以下の3つの要素の複合体としての「存在(Being)」と人間を理解せよということです。
 

■生物学的(Biological・脳を想定→主に薬物を用いて治療する)
■心理学的(Psychological・心を想定→主に言葉を用いて治療する)
■社会学的(Social・環境を想定→環境調整→休職や入院などを進言する)


 初診時は、この3つのうち、患者さんのどの要素が不調の主な原因なのかを探ることが重要になってきます。患者さんの不調の原因により、主な治療のアプローチも決まってきます。

 ここではどの要素が原因かまだ不明のうちに、そのひとつだけに拘泥してしまう「ちょっと困った精神科医」をご紹介しましょう。


タイプ1:すべて脳に問題があるとする医師。特徴は内科的で切れ味がいい。しかし、心理的・環境的要因はほとんど考慮しません。「器質論者」とも言います。治療は薬物一辺倒になりがちです。
タイプ2:すべて心に問題があるとする医師。「あなたは、こういうストレスにさらされている」と唱えるので、「心因主義者」ともいえるでしょうか。どこにストレスがあるのかを必死に探そうとしますが、人は多くのストレスにさらされており、簡単に見つけるけることはできません。しかしこのタイプの医師は「これがあなたのストレスですね」とすぐに決めつけがちです。
タイプ3:環境(社会学的要因)に問題があるという医師。家族や社会に要因があると考え、「あなたは悪くない。あなたの母親が悪い。上司が悪い」などと息巻くタイプです。
 かつてイギリスでこの立場に近い反精神医学が勃興し、従来の精神医学を否定した時期がありました。環境論者ともいえるでしょうか。たとえば頭部CTで抑うつの原因が「脳腫瘍」とわかっても、なお「社会体制が悪い」と主張する医師もいました。3つの要素の不調を診たてるバランス感覚が大切ですから、こういう医師には要注意です。

 私は精神科医はできるだけ中立的であるべきだと考えています。それは診断・治療方針に関して言えば、「1つの立場に偏らない(Flexible)」と翻訳できるでしょう。


■信頼できる精神科医の条件とは


 では、困った精神科医を避け、信頼できる精神科医を見つけるには、どうしたらいいのでしょうか。私は「信頼できる精神科医」には以下の3つの条件があてはまると考えています。


1.患者さんに対して尊厳を持つ1人の人間として接する医師。これが一番大事なことです。病気を持つ弱者にどう接するか。これはおのずと態度に現れます。


2.話をよく聴く医師。「聞く」のではありません。ところどころに質問や納得の言葉を入れつつ、興味を持って「聴く」のです。このことにより、患者さんの考える病気の原因や苦しみのお話(ストーリー)が明らかになります。


 聴くと言っても、だらだらと時間を費やす必要はありません。診察時間がやたらと長い医師は、技量が未熟だったり、すがり付く理論(診断基準や原因論)に当てはめようとしていたりするようです。ちなみに私の場合、診察にかける時間は、初診で30分~45分程度、再診で10分~15分程度です。

 患者さんの話をよく聴くことは、治療のアドヒアランス(患者が積極的に治療方針の決定に参加し、その決定に従って治療を受けること)を上ることにもなります。この過程で治療上のヒントが見つかるのもよくあることです。


3.「よくわからない」と正直(Genuine)に伝える医師。すぐに「分かった」と解釈を始める医師はちょっと考えものです。精神科には、「困ったときは正直(Genuine)に」という諺(ことわざ)があります。「そこがよくわからないのですが?」と口に出す医師は信頼できます。

 人間は、脳・心・環境という3つの要素が複雑に入り組んでいる存在です。どれかが傷み始めると、ほかの2つにも悪影響を及ぼし、相互的な悪循環を引き起こして全体が不調になると考えるのが合理的だと思います。脳・心・環境の3つに常に気を配り治療を進めていく医師がおすすめです。

 この3つの条件と「偏らなさ(Flexibility)」を満たしていれば、あとは「相性」「波長」「フィーリング」などがあえば、あなたにとって信頼できる「主治医」となるはずです。


■待合室まで患者を迎える私流


 私自身は、診療に際して以下のようなことを心がけています。参考までに挙げてみます。


1.診察室や身なりは、不快にならない程度に清潔に

 

1.応対のちょっとした工夫


・初診の場合は待合室まででかけて患者さんに自己紹介し、診察室に招き入れる(ここで得られる情報は結構多い)。
・できるだけ同伴面接を心掛ける(お互いの誤解、特に家族間の誤解が生じにくい)。
・診察の初めに必ず「よくいらっしゃいました」と話しかける(来院した勇気に敬意を払う)。


2.面接中の工夫


・できるだけ頭部CT(MRI)をすすめる(脳病変など器質的原因は時間が勝負)。
・困っていることを中心にできるだけ自分の言葉で話してもらう。
・困ったときの対処法を訪ね、うまくいっていれば讃める(強化する)。少なくともその努力を認める。


3.診察(面接)の終わりに


・現時点で考えられる今後の予測も含めた診断名を告げる。
・お薬は1~2種類を適宜使う。副作用の説明後、必ずお薬にメッセージを載せる。「薬がうまくあえば少しずつ怖い感じが消えるかもしれないよ」「久しぶりにぐっすり安心して眠れるといいね~」。
・歳時記や気候を用いて再来日を印象付ける。たとえば3月3日が再来日であれば「ひな祭りの頃にまたお会いしましょう」と一言添える(手前味噌ですが、再来日の間違いやその結果の怠薬などのうっかりミスなどが減るように感じます。こうした対応は先ほど述べた治療のアドヒアランスを上げるひと工夫です)。


 以上、35年の臨床経験から得た、わたしのやり方の一部です。これがスタンダードというわけではありませんが、信頼できる精神科医を選ぶうえでの参考になればと思います。


■主治医を変えることができるのか


1度は通院を始めたものの、「説明が不十分で納得できない」、あるいは「態度が高飛車に感じられて不満」といった時には、どうしたらよいでしょうか。


以下の2つのケースに分けて、解説します。


1)開業医(クリニックなど)の場合


開業の先生は、ほぼ1人で業務をこなしており、経営者も兼ねることが多いようです。そのためか、いわゆる一方的な父権主義(パターナリズム)になりがちです。自分の判断がつかないときに手際よく専門の医師を紹介してくれる先生、セカンドオピニオンを申し出てもいとわない先生は良医でしょう。


2)同じ科に複数の医師がいる大病院の場合


一般に、所属科には経験年数により3~5人の医師が在籍します(部長・副部長・指導医・レジデント《数年目》・研修医など)。良心的な科であれば、主に患者さんを担当する医師は、常に上級医師にアドバイスを受けています。そのようなスタッフ間の風通しの良しあしはなんとなく雰囲気で察知するしかないでしょう。医師間の関係が複雑な場合には、別の医師の診察はあきらめ、病院を変えるしかありません。
1,2どちらのケースも結局セカンドオピニオンの活用が味噌ですね。


 現代の医療では、セカンドオピニオンは当然の権利として認められています。「先生のご説明には納得いたしましたが、念には念を入れてもう1人の先生の意見も聞いてみたいのですが……」と、少しへりくだって切り出すのがいいようです。拒否する先生のところからはさっさと退散するほうがいいでしょう。


 セカンドオピニオンを聞き「こちらの先生が自分にあっている」と感じたら、「先生にお世話になりたいのですが」と意思表示すれば、きっと引き受けてくれるはずです。


 
やめていい薬とやめてはいけない薬の違い
「薬を飲んでいる限り病気」は誤解


 薬は病気だから飲むもの。では「薬を飲んでいる限り病気」なのでしょうか。それは違います。逆は必ずしも真ならず。再発防止のためにも薬を飲み続けることが大切です。国際医療福祉大学の原富英教授(精神医学)は「勝手に服薬をやめないためにも、薬に対しての意思決定は、医師と患者が双方向で進めたほうがいい」とアドバイスします――。


1年経過すると約半数は服薬をやめてしまう


 精神科では、もう少しで安全域に入ると思われるのに、薬をやめてしまう患者さんがいます。こうした事例は少なくないようです。名古屋大学病院老年科の梅崎らの報告によると、長期間服用が必要な抗認知症薬ドネペジル塩酸塩(商品名アリセプト)では、1年後は約半分以上の患者さんが薬の服用をやめていたそうです。

 
 なぜ薬をやめてしまうのか。これは「病気だから薬を飲む」行為が、いつしか「薬を飲んでいる限り、病気である」という考えに変わってしまっているからではないでしょうか。「病気だから薬を飲む」という発想が、逆転しているわけです。こうした逆命題は、高校数学で「逆は必ずしも真ならず」と教わりました。これがよく当てはまります。必ずしも「薬を飲んでいる限り病気は治っていない」というわけではないのです。

 さて、さまざまな薬は、服用期間によって、やめられる薬、当分やめないほうがいい薬、半永久的に必要な薬の3種類に大別されます。


 まず「やめられる薬」の代表例は抗生物質です。


 抗生物質は、原因(細菌など)が消失すればやめられます(医師は投薬を中止します)。またビタミン剤やホルモン剤などは、一時的な不足を補うため、数日から数週間の服用期間が標準です。


2番目の「当分やめないほうがいい薬」では、精神科や生活習慣病の薬があげられます。


 慢性化しやすく数年~数十年かけて付き合っていく病には、悪化や再発予防のための最小限の薬を服用し続けるほうがいいと考えられています。これは専門家の中ではほぼ意見が一致しています。

 うつ病のように回復に月~年単位が(回復は三寒四温だよね、と説明する精神科医もいます)必要で、この間に再発しやすい特徴を持つ病気には、減薬しつつ、数年間は当初の3分の1~4分の1程度の量で服用することを私は勧めています。

 また健康診断で「コレステロールが高いですね」と注意を受けた経験のある人がいるかもしれません。LDL(悪玉)コレステロールは、動脈硬化の危険因子のひとつとされており、年をとるにつれて分解力などが低下し増加していきます。生活習慣の見直しなどで改善がみられない場合、現在はLDLコレステロールの体内合成を阻害する薬を用います。ただし、至適な血中濃度を維持するためには、ほぼ一生、この薬を服用することが必要になります。服用をやめると、ほとんどの人が再び異常値まで血中濃度が上がってしまうからです。

 このように慢性疾患モデルの病気は、薬によって悪化・再発を防ぐことは重要な対策のひとつであり、食事療法などの生活習慣の改善により減薬はできても、薬が不要になると考えるのは危険が大きいと思います。


3番目の「半永久的に必要な薬」は、何らかの原因で自己免疫性疾患やホルモン失調症(甲状腺機能失調症など)、パーキンソン病などの神経伝達物質が不足する疾患にかかった患者さんは、自然治癒でもしない限り、半永久的に少量のステロイド剤やホルモン剤などの補充が必要です。この補充療法によりほとんど健康な人と同じように活動ができます。


 この2番目と3番目の薬の使い方は、連載第1回目の説明を引用すれば「(薬を服用しつつの)寛解をめざす」というものです。


共同意思決定のすすめ


 かつては医療者(医師や薬剤師など)が、治療方針を患者さんへ一方的に伝えるのが一般的でした。しかし、最近では「インフォームドコンセント」(Informed Concent=説明と同意)を行うことが主流です。ただし、これも流れとしては、治療者側から患者さんへの説明が多くなり、一方向であることには変わりありません。

 そこで近年は「SDM」(Shared Decision Making=共同意思決定)という取り組みに注目が集まっています。

 SDMとは、「治療者あるいは患者さんのどちらか一方が決めるのではなく、両者が話し合って治療方針をお互いの同意と納得のもと決定し、適切な治療を見つけ出すこと」です。乳がんの治療から始まった考え方で、ドイツでは約20年程前から実践されています。

 最大の特徴は双方向性です。代表的な治療法のひとつである薬物療法を進めるうえで、重要な実践だと思います。薬に関して言えば、患者さんは主作用・副作用・服薬期間などオーソドックスな質問で始めることになりますが、何より患者さん自らが治療の決定に参加しているということが大切なのです。

 私見ですが十分に説明し、お互いに話し合い納得したうえで開始した服薬は、予想以上によい効果を生み出すように感じています。実際、最近の臨床研究からもSDMの有効性が証明されつつあるようです。

なお、広く知られるようになったセカンドオピニオン(Second Opinion=第2の意見)も、広義には、SDMの類型のひとつと考えることも可能でしょう。

 
副作用についての考察


 最後に薬を服用する際に必ず生じる疑問――「副作用」について少し触れておきます。患者さんが薬の服用を中止する原因のひとつだと思われるからです。

 私は、医学生や研修医によく次の質問をします。「薬を処方するとき、副作用についてはどこまで説明する?」。彼らは困ったような表情で口ごもります。理想的には何百という副作用をすべて説明したほうがいいでしょう。しかしこのやり方は、主に以下の2つの理由から現実的ではないのです。
 

 ひとつ目は診療時間の制約です。全ての副作用を説明していると、1日数人の患者さんしか診ることができない可能性があります(日本の一般開業医の1日の平均外来患者数は40人前後です)。
 ふたつ目はすべてを説明すると、非常にまれな致死的副作用などを怖がってしまい、患者さんが服用しないのではないかと危惧するからです。


では私はどうしているか。


 薬品情報書は副作用の出現頻度を、主に4段階で表示しています。5%以上の副作用は、最低20人に1人の割合(多い副作用は、3人に1人出る印象)で生じる可能性があるということです。これは説明しなければいけないでしょう。ただし5%以上の副作用は、生じても致命的なものは少なく(そうであれば、その薬は開発段階で日の目を見ないでしょう)、薬の量を減らしたり中止したりすることで消失するものがほとんどです。


自分の薬を「自家薬篭中」の「薬」にする


 そこで私は、5%以上に生じる可能性のある副作用(精神科の薬であれば、軽い眠気・めまい・ふらつき・吐き気など)について、質問を受けつつ6~7個を説明します。加えて耐えられないような副作用(高熱や全身の薬疹など)を1~2個説明し その症状が出た場合はすぐに連絡するよう連絡先を伝えておきます。

 それから軽い副作用は少し我慢していくと耐性(慣れ)ができ、服用を継続できること、先ほど述べた2番目、3番目のタイプの薬の中には、急にやめると不愉快な退薬症状(いわゆる薬切れ)の症状が出やすいこと、眠気や注意散漫が生じる危険があるので車などの運転は避けることなどを付け加えます(これは精神科の薬に特有の注意事項でもあります)。こうした方法を採れば、患者さんは副作用が生じても慌てずに冷静に対処できるようになります。


 このように主作用・副作用も含めた薬の「飲み心地」についてやり取りをしつつ説明し、服薬の合意をとるのです。この私の実践は先ほど述べたSDMの概念に近いと自負しています。

 結局、患者さんは、副作用も含め医薬品の特性を知り、双方向(SDM)に医療者と話し合い、まさに自分の薬を「自家薬篭中」の「薬」にすることこそ、服用する薬についての大切な態度といえるでしょう。

 


 原 富英(はら・とみひで)


 国際医療福祉大学 福岡保健医療学部 精神医学教授
1952年佐賀県生まれ。九大法学部を卒業後、精神科医を志し久留米大学医学部を首席で卒業。九州大学病院神経科精神科で研修後、佐賀医科大学精神科助手・講師・その後佐賀県立病院好生館精神科部長を務め、2012年4月より現職。この間佐賀大学医学部臨床教授を併任。

 

 うつ病や認知症は、実は糖質の過剰摂取が原因だった?


 今日は、一冊の本を紹介しましょう。光文社新書から出ている、清水泰行著「糖質過剰症候群~あらゆる病気に共通する原因~」です。


 現代人は、実は糖質を取り過ぎており、それゆえ肥満や糖尿病などの生活習慣病に罹りやすい体質になってしまっているのです。糖質の代表例が炭水化物ですが、ごはん、パン、麺類、果物、お菓子類、スイーツ、ジュース、スポーツドリンクなど、多くの食品に含まれています。これらを取り過ぎることで、いろいろな病気にかかってしまうようです。

 糖質を摂取すると血糖値が上昇します。このとき膵臓からインシュリンが分泌され、血糖値を下げようとします。糖質を過剰に取るとインシュリンも過剰に分泌され、血糖値は急上昇後急降下するカーブを描きます。この一連の山ができることが「酸化ストレスを増大させたり、炎症反応を増加させ、血管を傷つける。」「酸化ストレスは、体の中で発生する活性酸素が抗酸化物質等でうまく除去できる量を上回る場合に起こる。」

 更に、糖質を過剰に摂取し続けると、「インシュリン抵抗性」と呼ばれる状態になり、インシュリンが分泌されても血糖値が下がらない状態に陥ります。これがいわゆる糖尿病です。

 脳内でも同じようなことが起こります。脳の中には、インシュリンやアミロイドβを分解する酵素があるのですが、糖質過剰摂取でインシュリンの濃度が上がると、その酵素はインシュリンの分解に忙殺され、アミロイドβの分解にまで手が回らなくなってしまうようです。そのため、脳内にアミロイドβが多く残存するようになり、アルツハイマー型認知症になってしまうようです。ですので、認知症にならないためには、甘いものを食べる食習慣を改めることが必要になります。

 また、うつ病は、脳の炎症が原因と考えられ、糖質の過剰摂取で高血糖になると、うつ病を発症するリスクが一段と高まるようです。

 その他、あらゆる病気は、この糖質の過剰摂取・高血糖が原因となって発症している可能性があります。

 最後に、「糖質依存」に陥りやすいメカニズムをこの本の筆者は、こう説明しています。以下引用です。


  「糖質は、ただのエネルギー源ではない。脳に強く作用する。合法的に摂取できる麻薬と言っていいかもしれないほど依存性があると考えられている。………(中略)………   糖質を取ると脳のドーパミンが大量に分泌されて、報酬系という部分が強く活性化される。報酬系が活性化されると、また繰り返したくなる。そしてまた糖質を取ると再びドーパミンが出て、脳がまた喜ぶ。これを繰り返していると、通常の状態ではドーパミンは減少し、糖質を取るとやっと通常の状態まで上がるようになる。その先までいくと、普通に糖質を取っただけではドーパミン量は通常の状態にまで上がらず、さらに多くの糖質を取らないと、脳が喜ばなくなる。どんどん深みにはまっていくのである。麻薬と全く同じである。」と。

 

  みなさん、どうでしょうか?  ちょっと怖い感じがしませんか?

 結論から言うと、糖質の過剰摂取をしないということになりますね。

 

 

 

 今回の事件を総括するならば、精神科医・心療内科医でもない医師が、あたかも専門家であるかのごとく診療している社会のシステムに問題があります。卑近な例では、テレビに出てくる心療内科医を詐称する”輩”を野放しにしている”医師免許”制度の根底を見直す必要があります。ここを正さないことには、何も解決されることはありません。