なぜ、私達は”健康”になれないのか・・昨日の補足記事です。 | 頭痛 あれこれ

頭痛 あれこれ

 「慢性頭痛」は私達の日常生活を送る際の問題点に対する”危険信号”です。
 このなかで「片頭痛」は、どのようにして引き起こされるのでしょうか。
 慢性頭痛改善は、「姿勢」と「食生活」の改善がすべてであり、「健康と美容」のための第一歩です。

 前回は、脳のなかに異常のない一次性頭痛(慢性頭痛)をどのように考えるべきかについて述べてきました。
 その要点は、慢性頭痛とは、東洋医学でいう”未病”の段階にあるものです。このため頭痛の専門家が金科玉条のものとされる「国際頭痛分類 第3版β版」でも示されますように、あくまでも”症状”だけで、緊張型頭痛とか片頭痛とか群発頭痛といったように区別されているだけのことであり、基本的にはこれら慢性頭痛は連続したもののはずです。
 ところが、頭痛の専門家達は、これらの緊張型頭痛・片頭痛・群発頭痛を独立した疾患と考えていました。とくに片頭痛治療の世界にトリプタン製剤が導入されて以来、片頭痛は病気と考えられてきました。このように片頭痛は1つの疾患単位を考えられてきました。
 ところが、西洋医学では疾患単位であるとすれば、これを裏付ける病理解剖学的所見が必要とされますが、このことは一切無視されるようになっています。
 一方、現代西洋医学では、薬物療法で治療可能なものが病気(疾患単位)とされています。要するに、これまで寝込む程の激しい頭痛が、トリプタン製剤によって劇的に改善されるようになったことから、日本の頭痛研究者は片頭痛の特効薬と称して新聞・マスコミで大々的に宣伝しまくっていたことは皆さんもご存じのはずです。
 このような片頭痛の”特効薬”であると宣伝を行ってきたため、片頭痛患者さんはトリプタン製剤だけを片頭痛発作時に服用しさえすれば、片頭痛は治ってしまうと思い込むことは当然のことです。
 しかし、”未病”の段階にある片頭痛に対して、強力な”鎮痛薬”に過ぎないトリプタン製剤を、前回述べたような生活習慣の改善を全く行うことなく、服用を繰り返しておれば、どのようになるのでしょうか?

 それは自然治癒力の低下を招くことになり、場合によっては慢性片頭痛へと移行していく方々も出てくることになります。さらに、これまで60歳を過ぎれば自然消滅していた片頭痛が、いつまでも70歳を超えても発作を繰り返す場合もみられるように至っています。
 ですから、片頭痛発作時には、トリプタン製剤を服用せざるを得ませんので、発作が治まった期間中は、前回述べたような生活習慣の問題点を探った上で、改善・是正させておくことが必須のことになっています。
 このような指導を行うことなく、トリプタン製剤を処方する医師は、私達は敬遠するしか自衛手段はないと考えなくてはなりません。

 


参考記事


  慢性頭痛とは
   
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-12349807829.html


  未病とは、ホメオスターシスの乱れ(自然治癒力の低下)
     
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-12311213203.html


  片頭痛は病気です・・自然治癒力を考えない頭痛の専門家達
   
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-12310994305.html


  片頭痛は摩訶不思議な全身の疾患??
   
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-12361985931.html

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 専門家は、片頭痛を”未病”と考えないが故に、片頭痛は摩訶不思議な全身の疾患??”といった馬鹿げた論説をネット上に流布させるしか能がないようです。

 
 現在では、片頭痛に限らず”未病”の段階で健康食品が多数販売されています。あたかも、こうした健康食品さえ服用しておれば、私達の健康が維持されるとまでの錯覚に陥る今日この頃です。まさに、世も末になってきたようです。
 代表的なものは養命酒であり、頭痛領域では市販の鎮痛薬であり、トリプタン製剤のことをさしています。
 このことは製薬メーカーの利潤追求が目的となっていることは言うまでもありません。

 

 ここで最も大切なことは、”未病”を治すのは健康食品ではありません。それは間違った生活習慣・不健康な生活習慣を是正・改善させることです。

 これなくしては、私達は真の健康を手に入れることは不可能です。

 このような意味で、トリプタン製剤だけでは、片頭痛という激しい頭痛は抑え込むことはできても真の健康を手に入れることは出来ず、最悪の場合は一生に渡って悩ましい頭痛とお付き合いせざるを得なくなるということに他なりません。