独眼竜”臨床頭痛学” はじめに  | 頭痛 あれこれ

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 「慢性頭痛」は私達の日常生活を送る際の問題点に対する”危険信号”です。
 このなかで「片頭痛」は、どのようにして引き起こされるのでしょうか。
 慢性頭痛改善は、「姿勢」と「食生活」の改善がすべてであり、「健康と美容」のための第一歩です。

 これまで46回に及ぶ「慢性頭痛の周辺」のシリーズでは慢性頭痛には”共通した病態”があると述べて参りました。それは、以下の5つです。


 1.ミトコンドリアの関与
 2.セロトニン神経系の関与・・脳内セロトニン
 3.体の歪み(ストレートネック)の関与
 4.ホメオスターシスの関与・・免疫(腸内環境)の関与
 5.脂肪摂取の問題・・生理活性物質との関与


 しかし、頭痛専門医の方々は決してこのような観点から「臨床頭痛学」を論じられることはありません。こうした方々は「国際頭痛分類第3版 β版」がすべてとされるために、すべてこの国際基準に従って、「臨床頭痛学」を述べることになっています。


 最近、頭痛に関するHPの老舗とされる間中信也先生が開設される「頭痛大学」で以下のような新刊書が紹介されました。それは、富永病院の神経センターの竹島多賀夫先生の書籍でした。
 「頭痛診療の極意」(丸善出版)と「頭痛治療薬の考え方、使い方」(中外医学社)でいずれも医師向けです。
 最新の頭痛分頭とガイドラインを踏まえて解説されたもので、頭痛診療の向上を目指す医師に是非お勧めしたい本であると、間中先生”推奨”の書籍と紹介されていました。
 まさに、日本頭痛学会の考え方を代表とする書籍として紹介されていました。


 竹島 多賀夫先生は、これまでのブログでも再三再四ご紹介させて頂いてきた先生で、もう一度改めて御紹介させて頂きますが、現在の富永病院副院長に御就任される前は鳥取大学の神経内科に所属され、極めて多数の論文を出されておられます。
 そして、現在の片頭痛研究の端緒となる ADITUS Japan の世話人を1999年当時からされ、昨年の日本頭痛学会が開催されたHeadache Master School Japan(HMSJ)の第1回HMSJ-Osakaの会長を務められた日本頭痛学会を代表とする先生です。
 今回の「頭痛診療の極意」(丸善出版)は、臨床頭痛学を総説的に述べた、まさに貴重なものと考えております。これまでも、臨床頭痛学に関する書籍はあります。とくに寺本純先生の「臨床頭痛学」(診断と治療社)があります。これは極めて膨大な臨床成績をもとに書かれたもので圧倒される書籍です。これまでは、日本では唯一のものでした。 


 間中信也先生も多数出版されてこられました。その他、いろいろありますが一長一短で、医師向けの大半の書籍は分担執筆の形態をとっており、”慢性頭痛がどういったものであるのか”という俯瞰的に述べたものは皆無と思われます。こういったことから、今回早速、これら2冊を購入しました。これを拝読した上での感想を適宜述べていくことに致します。
 今回のシリーズのタイトルは、「独眼竜”臨床頭痛学”」です。


 この内容は、日本頭痛学会を代表とされる竹島 多賀夫先生の書籍を読み進めるなかで、私の独断と偏見に満ちあふれた考え方との相違点をブログ形式で書き綴っていくことに致します。「私の独断と偏見に満ちあふれた考え方」という意味合いから「独眼竜”臨床頭痛学”」というタイトルに致しました。


 竹島 多賀夫先生が現在所属される富永病院は、私にとっては忘れられない病院です。
 私は、これまでもブログで明らかにしておりますように、昭和45年から国家公務員等共済組合連合会 呉共済病院・内科で急性期脳梗塞の診療に明け暮れ、将来の「急性期脳梗塞の血行再開療法」を夢見て、富永記念病院の門を叩きました。最初の面接時の富永伸介理事長の学究肌の穏和な性格に触れ、将来は約束されたような錯覚を持ちました。
 当時の富永記念病院は曽根憲昭院長以下5名の先生方がおられ、唱い文句の「急性期脳卒中診療を・・」でしたが、これとは裏腹に150床の病床の大半は脳卒中後遺症の方々が殆どであり、救急で搬送される患者さんは1日5~6名はあるものの「急性期アルコール中毒」か「過呼吸症候群」ばかりでした。来る日も来る日も、”皮革”と”キムチ”と急性アルコール中毒患者の”ヘド”の3つがミックスした臭気に包まれた環境に置かれ、悶々とした毎日を送るなかで、田辺の元市会議員の策略にはまり、挙げ句の果ては、都落ちならぬ「田辺落ち」に至りました。富永記念病院にお世話になったのは、わずか1年8カ月の短期間でしたが、暇に任せて「日本神経学会の認定医」試験に合格したことが、唯一の救いだったでしょうか? (これまでの回顧録 http://taku1902.jp/sub279.pdf

 大学卒業時は、インターン闘争の最終年度にあたり、以後、青医連広島支部委員長として「医局講座制廃止」を訴えて活動したため、大学の教室に入局することなく、直接、国家公務員等共済組合連合会 呉共済病院・内科へ勤務したことから、未だ、大学の教室はありません。
 さらに、和歌山県には、「日本頭痛学会認定施設基準で定めるところの教育・研修施設」は全く存在せず、このため私には頭痛専門医の受験資格そのものが存在しません。

 このようなアリ地獄へと一直線に嵌り込んだ人間にとっては、頭痛専門医からみれば、まさに異端児そのものであり、このような人間からみた「臨床頭痛学」です。
 このため、私の「臨床頭痛学」は、大学の教室という枠に囚われず、さらに頭痛専門医が金科玉条のものとされる「国際頭痛分類第3版 β版」はあくまでも診断基準とはしますが、これがすべてとも思っておりません。あくまでも現実に慢性頭痛でお悩みの方々が私の「臨床頭痛学」の”師匠”と考え、これまで「臨床頭痛学」を構築してきました。

 これと、寺本純先生の「臨床頭痛学」「頭痛クリニック」以下全ての著書、さらに竹島多賀夫先生を始めとする鳥取大学神経内科の諸先生方の論文業績が私の理論的な背景となっています。


 こういった意味で、「独眼竜”臨床頭痛学”」と名付けるにはふさわしいものと思っています。