旅の最後、フェリーが港に着いてすぐ、山に登った。
せっかく門司まで来たので、門司で整骨院をやられている、治療家で武術家でもある山本将生先生を訪ねていくように予定していたのだ。
ただ、フェリーが着くのが早朝なので、時間があった。
それで山を登ろうと予定を組んでいたのだ。
ただ、登るルートは通常のルートではなかった。
ネットで登れるよという情報だけ確認はしていた。
で、実際に登ってみると、道など何もない。
ただの林の中の崖だ。
地面には落ち葉が重なり、崖は水が流れていた。
私はいつも100均のビーサンを履いているので、つるつる滑って全く歩けない。
すぐにビーサンを脱ぎ、裸足で登ることにした。
宮本武蔵の小説を思い出した。
確か、山を登っている最中に、足に釘が貫通したというエピソードだったか。
気付かずとも、油断していなければ、足を貫き通すところまではいかなかったはず。
確か、そんなエピソードだ。
地面は岩場であり、石や枝がわんさか落ちている。
構えれば、足は固くなる。
固ければ、ぶつかる。
ぶつかりは痛さを呼ぶ。
そして、固くなれば、物は見えなくなる。
何かを踏んだとしても、固ければ、身動きできず、対応できない。
柔らかければ、反応できるはず。
力を抜き、感じながら。
構えるな。
そんなことを思いながら、登っていった。
山は行。
あらためて、その理解が深くなった。
これも滝行をしたおかげだろう。
また、林の中は、蜘蛛の巣がとても多かった。
これに何度もひっかかった。
見えてないのだ。
目は開いているが、閉じている。
日常でも同じじゃないだろうか。
わからないうちに、蜘蛛の巣にかかってやしないか。
私は4日間の旅の荷物を背負って登っている。
後ろに大きい荷物を抱えている。
それがまた、枝木にぶつかり、ひっかかる。
日常でも、こんなに何かを抱えてやしないか。
抱えると、重たくなるし、大きくもなる。
それがどこかへひっかかってはいやしないか。
わからないまま。
わかっていても。
そんなことも思いながら登った。
頂上が見えた頃、地面にはガラスの破片がたくさん落ちていた。
そこで、ビーサンを履いた。
すると、履いた瞬間、ケガをした。
足裏とビーサンの間にガラスが入っていたのだ。
もともと足裏にガラスが引っ付いていたのだ。
これを履いたら大丈夫と安心した途端、これだ。
裸足で歩いているときは、足裏は柔らかくガラスが引っ付いていても突き刺さらなかったのだ。
こういう経験もとてもおもしろかった。
すぐにビーサンを脱いで、それからは下山するまでは履かなかった。
頂上で出会ったお爺さんからは、あんた、あそこを裸足で登ったと?!と非常に驚かれた。
下山してお会いした山本先生からは、人ではなく、仏様の様と言われた。
後から聞くと、道なき崖のルートは修験者がときどき登るルートらしい。
ただ、先生と会う約束をしていたおかげで、裸足で山を登るという、こんな素敵な体験ができた。
いろんな縁が重なる。
おかげさまで、最後の最後まで、ありがとうの言葉しかない最高の旅となった。
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ただただ清らかに流れていく 疋田一直 HP
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