徳政令と頻発する一揆 | ひさしのブログ

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はじめに

 

これまで、室町幕府の誕生から籤引き将軍足利義教の政策まで述べてきたが、今回は室町幕府を揺るがせ果ては応仁の乱の引き金ともなったこの時代に頻発した一揆に関して述べたいと思う

一揆というと普通はのちの江戸時代に頻発した百姓一揆がイメージされるが、この時代の一揆は庶民から国人や一向宗徒にまで及ぶ多種多様な一揆が頻発した

まず室町時代の初期の一揆として代表的なのが「徳政一揆」、これは当初は将軍の変わるごとに出される「徳政令」を要求する一揆で、主な要求として債務の取り消しや荘園年貢の半減を求めたりするものであった

だから将軍が変わる機会を狙って頻繁に起こされたが、幕府はその要求にこたえて当初は「徳政令」を出し借金を棒引きさせたり借金のかたにとられた私物を取り戻す権利も与えたりした

これは以前に鎌倉の北条氏も行っていたもので、鎌倉時代には永仁の徳政令などが出されていた

ところで、話は戻るが、室町時代まず初めに起こった大規模な一揆として「正長の土一揆」がある

これは正長元年に京都で起こっているが標的とされたのが「土倉や酒屋」で首謀者は馬借や車借といった現代でいう運送業者で、「土倉や酒屋」が標的となったのは高利貸しを営んでいたからであるが、この一揆が起こった背景には南北朝合体後の後南朝が反乱を起こし時の有力者で鎌倉公方でもあった足利持氏までもが巻き込まれ京都が手薄だったことも原因の一つにある

この一揆はその後幕府軍により鎮圧されるが、その後、播磨でも同じく土民の一揆が起こることになる