第二節 蝦夷の朝貢と服属儀礼 | ひさしのブログ

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次に蝦夷の朝貢と服属儀礼について考えてゆきたいと思う


蝦夷の朝貢に関しては京への朝貢と国府や城柵などの朝貢の二つの形がある

京への朝貢は七世紀後半ぐらいから、毎年定期的に行われた


この蝦夷に対する朝貢が行われる様になった背景には、阿倍比羅夫などのよる東北遠征などのも考えられるが

その遠征の成果にもよらないであろうと思われる定期的な朝貢もある


上京朝貢と国府城柵などへの朝貢の違いは、今泉隆雄氏によれば蝦夷の中央政府に対する

政治的隷属関係の強弱による事になる


八世紀において地方官への朝貢が確認できるのは陸奥国の閉村蝦夷と出羽国の渡島のテキだけである


閉村は弘仁二年の文屋綿麻呂の征夷に登場する幣伊村や弊伊村、遠閉伊村、更に後世の閉伊村に相当し

坂上田村麻呂の征夷の時に着手され、綿麻呂の征夷によって律令国家の支配下に入った


これに対して、上京朝貢した蝦夷は熟蝦夷であり、この蝦夷は中央政府との間に一定の支配や隷属の関係が

成立した蝦夷であった


これらの事から七八世紀に於いては上京朝貢が基本的であり、地方官への朝貢は二次的な物であったが

九世紀に入ってからは、上京朝貢より地方官への朝貢が重要視されるようになった

また七八世紀に於ける朝貢行事に於いても違いが見られる


つづく