第一節 律令国家における饗宴
古代律令国家において、饗宴は非常に重要な儀礼であった
この饗宴においては、参加者に対して禄が給付された この禄は無論「公的贈与」に拠るものであるが
朝廷においては、天皇から臣下に対して衣服贈与がされ、これに拠って天皇と臣下は精神的な結びつきを深めて、臣下は天皇の帰属意識を確認する機会を得ることになる
この事を最大の祭儀である大嘗祭に即して考えてみることにする
大嘗祭は天皇が即位するに当たって、新帝への聖性付与を目的とする政治的服属儀礼であり、
その祖形と成るものが新嘗祭である
大嘗祭の儀式においては、諸国大祓、抜き穂の儀、天皇の禊を経て霜月寅日の鎮魂際、卯日の悠紀
主基神殿での饗食儀礼辰日の悠紀、巳日の主基の節会、午日の豊明の節会に至る
そして大嘗祭の最後は、豊楽殿の饗宴となるが、吉野国栖の舞台の南に掃部寮の官人が禄台を置き
弁天夫が禄数を奏上し、式部省が「禄法」を天皇に勧め「御物賜へ」と宣命が行われ
親王以下の官人達に次々と禄が与えられる
毎年の新嘗においても禄の贈与は粗同様であった
饗宴における禄の対象者は「蕃客使」や特定の功績者を除いては、五位以上の官人への贈物が大半で
他には「侍臣」や「見在座者」といった節会に加わった者に限定されている
これは何故なら、官人達への儀式の参加が強く義務付けられ、不参加者には「季禄」「位禄」の支給すら
止められる事になっていたからである
また対象者の多くが五位以上の貴族層であった事は、贈禄が直接王権を支える支配者内における
分配の意味を持っていた事を示している
以上のことから饗宴と禄とは不可分の関係となり、五位以上の貴族からはこの朝廷の饗宴儀式に参加する事で
自らの身分を保証され、彼らは朝廷に服属を誓ったのである
饗宴に関しては鈴木靖民氏が首長制社会と結びつけて説明しておられる
つづく