多発性硬化症との闘病記を始めました。

 

もしまだ、始めからの投稿を

 

ご覧になっていない方は

 

是非こちらから先にご覧ください!

 

 

 

 

 

それでは、

 

続きをお話しさせていただきます。

 

 

 

 

2013年7月に

 

多発性硬化症との診断を受けてから

 

約5年半もの間

 

数えられる程度の人にしか

 

この病気のことは伝えていませんでした。

 

 

 

 

その理由にはいくつかあるのですが、

 

「一日でも早く患者の手元に薬を」と

 

全国で署名活動を展開するなど

 

遠位型ミオパチー患者会の代表として活動をしていたので

 

 

 

その活動がぼやけないかという心配や、

 

この間、

 

特に自覚症状もなかったので

 

多発性硬化症患者としての自覚はないし

 

公表する必要性もないと思っていました。

 

 

 

 

2015年10月に

 

「ひとりじゃないから、大丈夫。」

 

という本を出版した際にも

 

多発性硬化症のことは触れませんでした。

 

 

 

 

 

自覚症状はなかったので

 

これまでと同じように活動しながら

 

免疫抑制剤だけは服薬していました。

 

全国各地で講演

 

国内外で出張や車椅子ウォーカーの撮影

 

多数メディアに出演

 

多数イベントを開催

 

WheeLog!アプリの開発

 

 

 

 

しかし、

 

いざ症状があらわれて

 

こうして緊急入院となると

 

話は変わります。

 

 

 

 

遠位型ミオパチーは

 

全身の筋肉が徐々に衰えていって

 

やがて寝たきりになる希少疾病です。

 

なので、

 

体力は確かに人より無い私ですが

 

周りのサポートや気力があれば

 

外に出て活動することができます。

 

 

 

 

しかし、

 

多発性硬化症は

 

炎症が起きた神経の場所によって

 

痛みや呼吸困難などが起きて

 

日常生活もままならなくなります。

 

 

 

 

現にこうして

 

出張先の沖縄で入院してしまい

 

大量のステロイドを投与し

 

仕事どころではなくなったわけです。

 

 

 

 

患者会やWheeLog!の活動を通して

 

難病・障害の当事者目線による

 

社会課題の解決に取り組むことは

 

限られた体力と時間を

 

費やしてきた

 

私の人生そのものでした。

 

 

 

 

それが、

 

多発性硬化症の発症により

 

今後は続けることができないのではと、

 

怖くて

 

悲しくて

 

悔しくて

 

そして何より

 

みんなに申し訳なくて。

 

入院したての頃は

 

ベッドの上で声を出して泣いていました。

 

涙がとまりませんでした。

 

これほどまでに

 

泣いたことはありませんでした。

 

 

 

 

この当時の私は、

 

公表=人生に終わりを告げる

 

とさえ思っていたのです。

 

 

 

 

このときほど、

 

難病を抱えながら

 

社会で働き続けることの難しさを

 

実感したことはないように思います。

 

 

 

 

しかし、

 

ステージ4の肺がんと診断され

 

まさに命を懸けて病気と闘いながら

 

活動を続けていらっしゃる

 

I先生にお会いしたことで

 

私の考えは変化していったのです。

 

I先生はWheeLog!の

 

CTO最高技術責任者としても

 

活動を支えてくださっています。

 

 

 

 

 

 

確かに日常生活においては

 

これまで以上に制限がかかります。

 

しかし、

 

I先生の公表後の姿を思い返すと

 

病気と真正面から向き合い

 

より活動の意義や必要性が高まり

 

活動への思いがさらに強く

 

周りに伝わっていることに気づきました。

 

 

 

 

私にも同じようにできるかなんて

 

正直まだ思えていなかったし

 

全く自信もありませんでしたが、

 

I先生の

 

「ゆりこさん、入院は大変だろうけど

 

どんどんその姿を発信すると

 

多くの人の励みになると思いますよ」

 

との言葉に背中を押されるように

 

SNSで公表するに至ったわけです。

 

 

 

 

すると、

 

多くの皆様から

 

温かい励ましの言葉や

 

応援のメッセージをいただき

 

こんなにも多くの方が

 

私のことを大切に思ってくださっていることに

 

心の底から感激し、

 

さらに涙が止まらなくなりました。

 

 

 

 

しかしこの涙は

 

辛さから出る涙と違って

 

勇気

 

希望

 

感謝

 

に溢れていて

 

生きる力がこみ上げてくる涙でした。

 

 

 

 

公表して本当によかったです。

 

気持ちが楽になりました。

 

WheeLog!アプリのつぶやきにも

 

その時の気持ちを投稿してました。

↓↓↓↓↓

 

 

まだ退院すら未定な状態でしたが

 

~~~~~

寝ても覚めてもWheeLog!のことばかり考えています(笑)応援が力になるってホントですね。
~~~~~

来年は更に活動を強化していきます!

 

 

皆さんからの応援が

 

私のエネルギー源です!

 

 

 

 

長くなってしまいすみませんでした。

 

最後までご覧いただき

 

どうもありがとうございました!

 

 

 

 

次回は、

 

年末にかけての入院中

夫が果たした大きな仕事

についてお話しさせていただきます。

 

 

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