SNS全盛の今、どうにも私の中には、不特定多数や顔の見えない相手に向けた言葉というのが湧いてこない。

若者たちの多くは「コミュ障(コミュニケーション障害)」を自称(自傷?)するが、私こそ「デジタルコミュ障」であることは間違いない。

「誰にともなく」つぶやいたり、「世の中」に発信したり、「新たな仲間」を求めたり、仕事となればやるのだが、個人としての自分ではからっきしダメなのだ。

 

ただ、自分の中の想いを言葉に変えるという作業は、私にとってとても大切で、それはまさに伝えたい気持ちそのもの。その行為には必ず「相手」がある。誰かを思い、誰かのために願い、誰かの心に届ける。それが無ければ言葉は空しい。と、私は感じる。

 

手紙というものが書かれなくなった時代である。メールでさえも、既に廃れつつあるメディアかもしれない。言葉が何人もの頭の上にふわふわと浮き上がり、もしくは垂れ流されて、宛てどがあるようでないように行き交っては消えていく。一人から一人のための濃密な言葉は、恥じ入るように場所を譲り、何かを回避しようと薄まった言葉が空気中に増殖している。そうした絵が私には見えてしまう。

 

そんな今だからこそ、たった一人、「誰か」のためだけの言葉を集めたい。ターゲットは一人だけ。でも、その一人の心に響く言葉なら、そこに何かを感じとる人もきっといるはず。どんな商品開発もサービスも広告宣伝も、本当は全てそのたった一人を喜ばせることから始まるのだと信じる。

希釈せず、重さを怖れない、まっすぐ一人へと向かう言葉をつむぎたい。