知日派、親日派であるケント・ギルバートさんが、こう書いていました。
「9条こそ憲法違反である」
と。
こちらから引用させて戴きました。
たぶん、多くの方は「えっ??」と首を捻ったにに違いありません。
まもなく、衆院選挙を迎えます。
この選挙では、改憲の是非も問われます。
改憲の焦点は第9条にあることは、疑う余地がありませんので、ここに焦点を据えてみます。
海外で暮らして、初めて日本の本当の姿が見えてくることがあります。
それと同じ事が、アメリカ国籍のケント・ギルバートさんに起こったのでしょう。
その根拠はどこにあるのでしょうか。
ケントさんは、
「9条は憲法前文に添ったものではない」
からだと仰るのです。
要するに、全ての条文は前文と整合性が、きちんと取れていることが必須です。
前文は長いので、エッセンス部分を抜き出してみました。
9条はそのままです。
■日本国憲法前文
《日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した》
■9条
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
まず、前文のおかしな所です。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」
他の国が、公正で、約束を守る国と決めつけています。
じゃあ、
シナ海に領海の線引きを勝手に行い、軍拡激しい中国は?
核実験を繰り返しミサイルを飛ばしまくっている北朝鮮は?
公正と信義に信頼を置けますか?
いよいよ9条に言及します。
■9条-1
こちらからは喧嘩を売らないことを宣言している部分問題はありません。
しかし、相手が戦争を仕掛けてくるなら、それを受けて立つ決意を示すことは、戦争を抑止する効果があります。
それまで放棄しているように受け取れます。
これでは、我々は無抵抗ですから、どうぞ占領して下さいと宣言しているようなものです。
日本国民を護る前文の趣旨は微塵も感じ取れません。
■9条-2
軍隊を有しないことを謳っていますが、これこそ前文とミスマッチしています。
「われらの安全と生存を保持しようと決意した」
相手国が武器、火器で武装して乗り込んできても、決意だけで安全と生存の保持ができるのでしょうか?
ファンタジーな世界観であるとしか言いようがありません。
自衛隊の保有は明記すべきです。
いかがでしたか?
以上の理由から9条は違憲状態なのです。
ケントさんは次のようにも述べています。
「日本の安全は9条に守られてきた」
なんて主張する人がいますが、
「日本の安全は、自衛隊と、駐日米軍によって守られてきたのです」
と、9条信奉者を一蹴しています。
9条って宗教なのでしょうか(笑)