たとえば夫と口論になったとして。
「娘が見ているから後でにしよう」
という選択を私はしない。
「パパとママは仲良しだけど喧嘩するんだ」
「喧嘩をしても、また仲良しに戻れるんだ」
ということを
娘が知っていたらいいなと思うから。
そもそも喧嘩が悪いことだと思っていなくて
たとえぶつかったとしても
言いたいことをちゃんと出し合えば
そして白熱するほど真剣に相手と向き合えば
より関係が深まるものだし、
そんな形のデトックスもたまには
必要なんだと思ってる。
だから娘たちにも
喧嘩は「悪いこと」「悲しいこと」
と定義して欲しくないな、って。
もし私たちが喧嘩のときだけ
娘の目を気にして隠れていたとしたら、
娘たちに将来パートナーができたときに
ぶつかることを恐れたり
喧嘩を避けて言いたいことを我慢したり
してしまうかもと思うから。
だから私と夫がしている
「大好きな人との喧嘩の仕方」を
隠すことなく見せていたい。
大切なのはぶつからないことではなく
ぶつかったときにどうするか、だから。
もちろん私と夫の形が
娘たちにとって正解とは限らない。
それに、正解である必要もない。
私ができるのは
「娘たちにとって正しい行いをすること」
ではなく
「自分にとっての正解を選ぶこと」
までであって
あくまで一人の人間として、
情報の一つとして、
「こんな形もあるんだよ」
を見せていくことしかできないから。
たとえ反面教師になったとしても
情報の一つとして役立ててもらえたら。
私自身、はじめて彼氏ができたときから
何でも言えて、喧嘩も恐れなかったのは
両親の夫婦喧嘩を見たことがあるからで。
喧嘩したってまた仲良くなれるんだ
ってことを知っていたからなんだよね。
それは喧嘩を知らないことより
ずっと安心だったなぁと思う。
大好きな人の愛し方も
大好きな人との喧嘩の仕方も
私が常に全力で、
愛するパパと向き合う姿勢を見せていくこと。
それが対人関係の教育だと思っています。
